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パリ五輪・卓球 早田ひな、準決勝敗退 過去未勝利の世界1位・孫穎莎ストレート負け「100%発揮できなかった」
女子シングルス準決勝が行われ、世界ランキング5位で第4シードの早田ひな(日本生命)が同1位で第1シードの孫穎莎(そん・えいさ)に0―4で敗れた。通算16連敗。またも世界女王の壁に跳ね返された。21年東京大会銅の伊藤美誠(スターツ)に続くシングルスのメダル獲得へ、3日の3位決定戦に回る。
試合後は涙目でインタビューに応じた「今日のために3年間頑張ってきた。自分のプレーを100%発揮できなかった。いままで関わってきてくれたみなさんに申し訳なかった。(3位決定戦は)自分が後悔しないように」と語った。
第1ゲームは序盤まで互角の展開も後半に突き放されて6―11で落とした。第2ゲーム序盤は3―3と競り合うなど粘ったが8―11。第3ゲームは4連続ポイントで7―7と追いついたが8―11と王手をかけられた。第4ゲームも序盤からリードを奪われ6―11で試合終了。ストレートで敗退した。
今大会は張本智和(智和企画)との混合ダブルスで北朝鮮ペアに1回戦でまさかの敗戦も、女子シングルスでは順調に勝ち進んだ。迎えたピョン・ソンギョン(北朝鮮)との準々決勝では接戦となったが、4―3勝利し、初五輪で4強入りを決めた。その直後には「ベスト4はすごくうれしいことですけど、ここを目指して頑張ってきたわけではない。明日(2日の準決勝)勝つために3年間やってきた。本当に緻密な、0・何ミリのコントロールがこの大舞台でできるかどうか。殻を破れるように、この壁を越えられるように頑張りたい」と孫との決戦に向け闘志を高ぶらせていたが、白星には届かなかった。
早田は伊藤美誠、平野美宇と同じ2000年生まれ。幼少期から“みうみま”の背中を追ってきた。だが21年東京五輪は補欠。観客席から応援した。悔しさも味わったが、一つ一つの経験が糧となった。水谷隼、伊藤組が混合ダブルスで金メダルに輝いた時、五輪恒例のメダリスト会見が始まったのは日付が変わった頃。伊藤はその後にドーピング検査も受け、会場を出たのは深夜2時過ぎだった。当時、早田は親友に付き添い、翌朝にシングルスが組まれる強行日程を乗り切って、3種目でメダルをつかんだ姿を見てきた。
21年東京五輪は代表権に届かず補欠で同行。22年から始まったパリ五輪の選考レースで首位を独走し、1番手で、3種目での初の代表権をつかんだ。「卓球を4歳から始めて、夢だった舞台。パリ五輪で金メダルを取るためにどうしていくか、行くか。それだけを考えて行動したい」と思いを話していた。
早田は今大会の開幕前には「一つ一つを乗り越えて後悔のないように頑張りたい」と意気込んでいた。日程やメンタル面も含め五輪を戦い抜くイメージを持ち、過ごしてきたこの3年。シングルスでは頂点の座には届かなかったが、まだメダル獲得のチャンスは残されている。3位決定戦で勝利し、東京五輪での親友、伊藤に続く銅メダル獲得を目指す。
◆早田 ひな(はやた・ひな)2000年7月7日、北九州市生まれ。24歳。日本生命所属。福岡・希望が丘高卒。4歳から卓球を始め、14年のワールドツアー・チリOPで当時史上最年少の決勝進出。16年世界ジュニア女子団体金メダル。世界選手権は女子ダブルスで17年から3大会連続メダル、混合ダブルスは21年銀メダル。21年アジア選手権3冠。23年世界選手権(南アフリカ・ダーバン)で、女子シングルス銅メダル。左利き。167センチ。
報知新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d15c797764a97549416ed8653ac955b6dd8f5b3