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【韓国】仏寺99%強を大破壊の歴史 対馬盗品仏像は倭寇が略奪した?
仏教大排斥の自国の歴史を無視して、国際条約も完全無視して推量で日本のせいとした韓国の判決が覆った。
10年前、長崎県対馬の観音寺から韓国人窃盗団によって盗まれた金銅観音菩薩坐像について、韓国の高裁は2月1日、韓国の寺に所有権があるとした1審判決を覆し、観音寺に所有権があるとする控訴審判決を出した。
1審では「600年前に倭寇によって略奪された蓋然性がある」、つまり、具体的な証拠はないが“たぶんそうだと思われる”という推量だけで、韓国の寺の主張と所有権を認めた。
しかし、控訴審では観音寺側の20年という「取得時効」が成立していると判断した。仏像を盗んだのは韓国人4人組の窃盗団で、その前科は合計56犯。事件当時の平均年齢62歳という筋金入りの窃盗プロ集団だった。
別に日本に渡った文化財を取り戻そうとしたわけではなく、警備や管理が緩いという情報を得て対馬に乗り込み、金目の物は手当たり盗みまくるという犯行だった。そんな彼らが、韓国では、日本から仏像を取り戻した“愛国者”と称賛されている。
■国際条約を無視し国民感情に任せた1審判決
1970年のユネスコ総会で採択された「文化財不法輸出入等禁止条約」では、締約国において“条約発効後”に盗難被害に遭った文化財は、海外への持ち出しが禁止され(第7条)、条約発効前に盗難・略奪に遭った文化財の返還については締約国同士の間で別途、協定を結ぶ必要がある(第15条)と定めている。
この「条約発効後」というのがミソで、韓国でこの条約が批准発効したのは1983年、日本は2002年である。仏像が盗まれ韓国に持ち込まれたのは2012年だから、当然、条約締約国として直ちに日本に返還しなければならなかった。
しかし、1審の地裁判事は、この国際条約を完全に無視して、国民感情を優先し「略奪された蓋然性がある」という推量だけで、韓国の寺の所有権を認めたのである。さらに韓国国民は、この地裁判事を「愛国判事」と称賛し、控訴審で1審判決を覆した高裁判事を「親日派」「日本に金で買われた」などと罵倒する。
国民感情やポピュリズムで、法律や条約が簡単に変えられると考えているのだろうか。
■1万以上あった仏教寺院を88寺まで大破壊した朝鮮王朝
そもそも李氏朝鮮(朝鮮王朝)になって、高麗時代に1万以上もあった仏教寺院をことごとく破壊し、仏像や仏具を溶かして武器に変えた過去があることを忘れたのだろうか。朝鮮王朝は、国家の統治理念として儒教、中でも朱子学を取り入れ、仏教を徹底的に排斥した。
その背景には、高麗時代に仏教が護国仏教として優遇され、政治と癒着したことで国政が混乱し、国力が衰退したという反省から、仏教を国家の運営から徹底的に排除しなければならないと考えた。
朝鮮王朝建国初期である600年前の15世紀前半、朝鮮王朝第3代国王太宗(テジョン)と第4代の世宗(セジョン)大王の時代に、寺院のほとんどが破壊された。第3代太宗は、全国に1万以上もあった寺院を、国家の保護を受けられるものは242寺だけ残し、その他は破壊した。
また、僧侶の多くを還俗させ、寺院が保有していた土地を没収し、寺で働いていた使用人を軍に徴用して兵役に従事させた。
■僧侶の入城を禁じ、仏像や鐘を溶かして兵器に変えた
次の第4代世宗大王は、全国の寺院の数をさらに3分の1の88にまで削減し、寺にあった仏像や鐘などの金属を溶かして兵器に変えさせた。
朝鮮王朝の首都となった漢陽(ハニャン)、現在のソウル中心部は、1周18キロ・メートルの石垣と土塁に囲まれていたが、世宗大王は、この漢陽都城の中にあった寺は2つだけを残してすべて撤去し、僧侶が都城の中に入ることも禁じた。そのため僧侶は文字通り「門外漢」と呼ばれた。
参考資料:高橋亨京城帝国大学講義「朝鮮思想史概説」(埼玉大学紀要)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390572174767948672
■仏像を守るには外国に委ねるしかなかった
(以下ソース元参照)
配信: 2023/02/10
https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/12749/