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スーパーボランティア尾畠さん「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」活動の源泉は「歩く」
o p q r “酒も飲まず、貯金もゼロ…スーパーボランティア尾畠春夫さんの生き様”. 現代ビジネス (2018年8月25日). 2018年9月17日閲覧。 ^ 尾畠春夫さん特集ページ 日出町広報 2018年9月11日閲覧 ^ “ボランティア尾畠春夫さんは「根っからの善意の人」2018/08/23
43キロバイト (6,358 語) – 2022年9月6日 (火) 14:15
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尾畠さん「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」
活動の源泉は「歩く」こと!
活動の源泉は「歩く」こと!
行方不明の男の子を救助したことをきっかけに「スーパーボランティア」として広く知られるようになった尾畠春夫さん(82・大分県日出町在住)。
「歩くこと」にこだわる尾畠さんは100キロウォーク以外にも、実はこれまでに徒歩での日本縦断や本州一周などの挑戦を成し遂げてきました。
全国各地を「歩いて」旅する理由について、尾畠さんはこのように話します。
――尾畠春夫さん
「歩く旅というのが一番人と一番話す機会も多いし、接する機会も多い。
いろんな人と出会って話しをしてみたいなと思って」 66歳で歩いて日本縦断 東日本大震災では「旅の恩人」の元に駆けつける。
尾畠さんは2006年、当時66歳の時に徒歩での日本縦断に挑戦し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬までを歩ききりました。
実は日本縦断の旅での出会いがその後の被災地支援へとつながっていったのです。
2011年3月11日、東日本大震災が起きました。東北で壊滅的な被害が出ていることを知った尾畠さん。
このとき真っ先に連絡したのが、日本縦断の徒歩の旅で出会い、食事を提供してくれた宮城県南三陸町の「恩人」の夫婦でした。
――尾畠さん
「すぐに電話したが全然通じない。ここで考えてもしょうがないから、行動に移せと思って」 こうして南三陸町に向かった尾畠さんは現地に入ってすぐにお世話になった夫婦の無事を確認することができました。
かろうじて夫婦の自宅には被害はありませんでしたが、町の惨状を目の当たりにした尾畠さんはそのまま現地に滞在し、災害ボランティア活動に従事しました。
その後、大分と南三陸町を行き来し、支援はのべおよそ500日にもわたりました。