朝日新聞・滝沢貴大「SEALDsとは何だったのか?」 服部涼平「実際は大半が年配の方でした…」

朝日新聞・滝沢貴大「SEALDsとは何だったのか?」 服部涼平「実際は大半が年配の方でした…」

朝日新聞・滝沢貴大「SEALDsとは何だったのか?」 服部涼平「実際は大半が年配の方でした…」

1: Felis silvestris catus ★ 2021/03/17(水) 17:55:10.99 ID:KjC9OTp79
payoku

若者の政治離れ。そう言われる近年ですが、政治と若者が脚光をあびた時期がありました。2015年、安全保障関連法案などへの反対運動の中心には若者がいました。彼らや彼女らと同年代の記者(26)は、遠くからあの盛り上がりを眺めていた一人。なぜ運動にかかわり、今は何を思うのか。渦中にいた人に話を聞きました。(朝日新聞和歌山総局記者・滝沢貴大)

デモが盛り上がった2015年、記者はSEALDsの中心メンバーたちと同じ大学に通っていました。休日に彼らのデモに鉢合わせたこともあります。しかし、当時はどこか人ごとのように一連のニュースを見ていたように思います。むしろ、彼らのデモを「パフォーマンス過多だ」と決めつけ、どこか冷めて見ていた部分もありました。今となっては、もっと自分ごととしてニュースに向き合うべきだったと感じています。

同じ頃、和歌山大に通っていた服部涼平さん(27)は2015年9月、「SEALDs KANSAI」に参加しました。

「当時は大学3回生。ゼミが始まり、戦時の障害者の待遇などについて学んでいました。そこに安全保障関連法の話が出てきて、1人でデモに行くようになりました。7月の衆院での強行採決に問題意識を持ち、『ここで何もしなくていいのか』と思いました」

服部さんは、主に大阪や和歌山でのデモに参加し、時には東京にも行きました。2015年9月に安全保障関連法が成立した後、他大学の人から声をかけられ、「SEALDs KANSAI」に加わりました。

「デモに参加して感じたのは若者の少なさです。『若者がデモに参加した2015年』という切り取り方をされることもありますが、実際は大半が年配の方でした。学生は時間的にも金銭的にも余裕がないのは大きいと思います」

大半の人が年配だった……。そう聞いて、たしかにそうだと思いました。自分もそうですし、周りにデモに参加している学生もいなかったと思います。政治に若者の意見を反映するために、若者こそ声を上げるべきだと今となっては感じています。

しかし、服部さんの活動はそれだけで終わりませんでした。
次ページは:解散後も終わらなかった活動

(略)

ヤフーニュース(朝日新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0dc8017068651b944885fbab832399f53b7cc500


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