【追悼】安倍元首相「落選したらラーメン屋さんにでもなろうかな」 初出馬選挙で昭恵夫人に真顔でポツリ・一部ネット「ラーメン屋舐めるな」「食べにいきたい」など。

【追悼】安倍元首相「落選したらラーメン屋さんにでもなろうかな」 初出馬選挙で昭恵夫人に真顔でポツリ・一部ネット「ラーメン屋舐めるな」「食べにいきたい」など。

【追悼】安倍元首相「落選したらラーメン屋さんにでもなろうかな」 初出馬選挙で昭恵夫人に真顔でポツリ・一部ネット「ラーメン屋舐めるな」「食べにいきたい」など。

1: 七波羅探題 ★ 2022/07/09(土) 19:33:38.78 ID:T+OSMT8g9
東スポ2022年07月09日 11時45分
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安倍晋三元首相は2020年に首相を辞任して以降も、自民党最大派閥の安倍派(94人)の領袖として、党内に影響力を保ち続けていた。第2次安倍政権では「安倍1強」と呼ばれ、連続在職日数(2822日)は歴代最長を記録。安倍氏を政治家になる前から知る政治ジャーナリスト・藤本順一氏が秘話でその功績を振り返った。

安倍氏は第1次、第2次政権を合わせた在職日数は3188日。第2次政権の連続在職日数とともに憲政史上最長だった。特に第2次政権の7年8か月は「安倍1強」といわれ、隆盛を誇った。

政治的には13年、特定秘密保護法を成立させ、14年には消費税を8%、19年に10%に引き上げた。15年には集団的自衛権の一部行使を認める安全保障関連法を成立。金融緩和などを主体とする経済政策「アベノミクス」を提唱した。

藤本氏は「第1次政権では若すぎて自前で勝ち取った政権というより、母親の洋子さんや小泉、森両首相ら岸家、安倍家の政治的遺産で総理のイスに就かせてもらった感がありましたが、第2次政権では実力政治家の麻生太郎、二階俊博両氏を脇に置き、安保関連法案や消費税改正など、歴代政権が投げ出した政治課題をやり遂げた。自民党にとっては、民主党から政権を奪い返した救世主でもあったでしょう」。

01年の小泉政権での官房副長官時代に北朝鮮との電撃的な首脳会談に同席し注目され、小泉氏の政治的継承者として戦後最年少52歳で首相に就任した。外交政策には自信を見せ、その行動力を示す秘話もあった。

「官房副長官時代に拉致問題と併せ、韓国政府の竹島軍事基地化の動きに対し、毅然とした対応を求めて当時官房長官だった親韓派の福田康夫氏と激しく対立したことを誇らしげに語っていました。私が『グーグルは竹島が(韓国名の)独島になっている』と伝えると、翌日にはグーグル側に抗議して表記を変えさせるなど、タカ派リーダーとしての自覚はこの頃に醸成されたのでしょう」(藤本氏)

安倍晋太郎元外相と、岸信介元首相の長女・洋子さんの間に二男として誕生。神戸製鋼所勤務を経て父の秘書官となった。父の病死を受け、93年の衆院選に出馬した。

「安倍氏は子供の頃から兄弟3人の中で一番デキの悪い息子と周囲に見られてました。しかし、母親の洋子さんからすれば、手のかかる息子ほどかわいいもので、岸、安倍両家の人脈、金脈のすべてをつぎ込んだ。ところが、安倍氏本人は初出馬の選挙遊説中、昭恵夫人とラーメン店に入り『落選したらラーメン屋さんにでもなろうかな』と真顔で話していたそうですから、元々は権力に対する執着心はなく、政治家としては淡泊だった。むしろ、だからこそ長期政権を維持できたのかもしれません」(藤本氏)

第2次政権では、森本学園への国有地売却、加計学園の“モリカケ問題”、「桜を見る会」問題など、長期政権の弊害も噴出した。

藤本氏は「国民世論から常に保守系右派、タカ派の強いリーダーであり続けることを求められ、神経をすり減らす毎日だったでしょう。ご苦労さまでした」と追悼した。

★1:2022/07/09(土) 17:30
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<p style=”color:gray;text-align:right;”>引用元: <a href=”https://ift.tt/DJTlN1L” target=”_blank”>・【政治】安倍元首相「落選したらラーメン屋さんにでもなろうかな」 初出馬選挙で昭恵夫人に真顔でポツリ★2 [七波羅探題★]</a></p>
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