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終わらない「安倍政権」という悪夢<京都精華大学准教授・白井聡氏>
◆「二〇一二年体制」とは何か
―― 岸田政権は安倍政権路線を継承しており、未だに安倍政権が続いているかのようです。白井さんは新著『長期腐敗体制』(角川新書)で、こうした状況を「二〇一二年体制」という観点から読み解いています。
白井聡氏(以下、白井) 「二〇一二年体制」は私がつくった言葉ではありません。安倍政権から菅政権に替わったとき、政治学者の中野晃一氏が菅政権の誕生をどのように見るべきか分析する際に用いていた言葉です。私はこの論考を読み、「我が意を得たり」という思いだったので、私もこの言葉を使用することで人口に膾炙させたいと思ったのです。
「二〇一二年体制」とは、二〇一二年に誕生した安倍政権が、安倍氏が首相を辞めたあとも変わらず続いていると捉える見方を意味します。実際、安倍政権のあとに誕生した菅政権や現在の岸田政権は、安倍政権と本質的な意味で違いがありません。
「二〇一二年体制」のポイントは、「体制」であることです。これは「政権」とは違います。政権は「安倍政権」や「菅政権」といったように固有名を冠して語られます。これに対して、体制は「共産主義体制」や「幕藩体制」といった使い方をされ、誰それという名前は消えます。たとえば、幕藩体制では徳川家康が死去したあと、何人も将軍が替わりましたが、もちろん継続しました。体制は権力構造が固定化しているので、誰がトップになっても影響を受けないのです。
また、体制は長期政権とも違います。政権が長期化すればそのまま体制になるわけではありません。過去には佐藤政権や中曽根政権、小泉政権も長期政権になりましたが、体制化することはありませんでした。
二〇一二年以降に成立した権力がなぜ体制にまでなったかと言えば、一つは野党が弱いことです。安倍政権下では森友学園問題や加計学園問題など数々のスキャンダルが出てきましたが、野党は内閣を倒すことができませんでした。その後、野党の弱体化はさらに進み、いまや政権交代の見込みはほぼゼロとなっています。もう一つは、与党内にも安倍氏に逆らえる人がいなくなったことです。安倍政権時代には石破茂氏が安倍氏を厳しく批判していましたが、徹底的に排除されました。こうして安倍氏を脅かす勢力がいなくなった結果、安倍政権は体制化していったのです。
それを象徴するのが「安倍一強体制」という言葉です。安倍政権が発足してから三、四年ほどたつと、メディアに「安倍一強体制」という言葉が登場するようになりました。メディアはこの政権が体制化したことを無意識的に読み取っていたのでしょう。
「二〇一二年体制」は「五五年体制」を強く意識した言葉です。五五年体制も体制と呼ぶに値する安定性を持っていました。しかし、冷戦が終結して五五年体制が崩れると、「ポスト五五年体制」という言葉が盛んに唱えられるようになります。そして、政治改革を求める声が強まり、小選挙区制が導入されました。ここで想定されていたのは「政権交代可能な二大政党制」であり、これこそが「ポスト五五年体制」だと考えられていました。
その後、二〇〇九年に民主党政権が誕生したことで、ついにポスト五五年体制が成立したかに思われました。しかし、この政権はわずか三年あまりで瓦解し、安倍政権が誕生しました。以降、政権交代の見込みが実質的に消滅し、「二〇一二年体制」として今日まで続いているわけです。
そう考えると、「二〇一二年体制」は事実上の「ポスト五五年体制」と言っていいと思います。日本政治は「五五年体制」に替わる体制を模索してきましたが、その結果生まれたのが「二〇一二年体制」だったということです。
◆本質は官僚独裁
―― 「二〇一二年体制」の特徴はどこにありますか。
白井 一言で言えば、官僚独裁です。これは一見すると現在の政治状況に反すると思われるかもしれません。一九九〇年代に官僚の不祥事が相次いだこともあり、ポスト五五年体制では政治主導が課題だとされました。民主党政権に期待されていたのも政治主導の実現でした。安倍政権も政治主導を追求し、内閣人事局を用いることで、官僚に対して絶大な影響力を行使しました。これによって政治主導が完成し、官僚機構は弱体化したというのが一般的な見方だと思います。
しかし、現実に政治主導を行うためには、官僚を説得し、協力させるだけの手腕が必要です。安倍氏にそんな力があるはずがありません。安倍政権の政治主導は形式だけであり、実態は官僚におんぶにだっこでした。その象徴が「官邸官僚」と呼ばれる人たちです。安倍政権時代には、経産省出身の今井尚哉氏をはじめ、側近の官僚たちが異常なまでにクローズアップされました。それは実際の権力を握っていたのが彼らだったからです。
しかし問題は、彼らが官僚の中でも特に質の悪い人たちだったことです。「二〇一二年体制」は官僚独裁とはいえ、制度面では政治主導が確立しているので、しかるべき地位につくには政権のご機嫌とりをしなければなりません。その結果、政権にへりくだることがうまいだけで、能力の低い官僚たちがのさばるようになってしまった。その代表例が、佐伯耕三(経産省出身)の囁きによってやることになった世紀の愚策、アベノマスクでした。
また、「二〇一二年体制」は官僚独裁という面は一貫していますが、どの省庁に権力が集中するかは政権によって違いがあります。安倍政権で絶大な権力を握ったのは、何と言っても経産省と警察です。菅政権は脱炭素政策に見られるように、経産省よりも環境省を重視していました。そして、現在の岸田政権では外務省と財務省に力が集中しています。特にウクライナ紛争が起こって以降、外務省の台頭はかなり露骨になっています。岸田首相が「新自由主義を脱却した新しい資本主義」と言っていたのに、「資産所得倍増」などという常軌を逸して愚かなことを言い出したのも、財務省にヘゲモニーが移ったことの結果でしょう。
ここで行われているのは役所の縄張り争いや派閥闘争であって、どこまで行っても国民は蚊帳の外です。要するに、九〇年代に吹き荒れた官僚批判の嵐によって受けたダメージから日本の官僚機構は立ち直り、権力を再確立したのです。新型コロナ対策にしても、厚労省は失策に失策を重ねてきましたが、大した批判を受けていない。その一因にはマスコミが劣化して批判能力が落ちたことがあるでしょうし、政治主導などできるはずのない無能な政治家が選出され続けているためです。
かつて柄谷行人氏がヘーゲルの議論を援用しながら、議会制民主主義とは実質的に、官僚が立案したことを国民が自分で決めたかのように思い込ませるための、手の込んだ手続きにすぎないと言っていました。ヘーゲルの議論は正しかったということです。
―― 岸田政権が対ロ強硬路線に転じたのは、明らかに外務省主導です。彼らはそれにより、尖閣有事などの際に米軍に守ってもらおうと考えているのだと思います。
白井 その目論見は失敗すると思います。というのも、アメリカは今回の戦争を通して「ウクライナ・モデル」とでも呼ぶべきものを確立しつつあるからです。
この間の動きを振り返ると、バイデン大統領はロシアが軍事侵攻に着手する前から「ロシアは本気だぞ」というメッセージを世界に向けて発信していました。実際、ロシアはウクライナに攻め込んだわけですから、バイデンの得ていた情報は正しかったわけです。しかし、それほど正確な情報を持ちながら、バイデンは早くからウクライナに米軍は送らないと明言していました。これがプーチンに全面侵攻を決断させる一因になったと思います。
実際に戦争が始まると、アメリカは米軍の派兵は拒んだものの、軍事支援に踏み切りました。その結果、この戦争はウクライナにとっては祖国防衛戦争ですが、第三者の視点から見れば、ロシアとNATOの代理戦争の様相を呈するようになっています。
アメリカの強力な支援もあって、ロシアはウクライナ相手に苦戦を強いられ、大変なダメージを受けています。他方、アメリカはノーダメージどころか、むしろ利益を得ています。
まず、多くの武器が必要になったため、アメリカの軍需産業は大変な利益を上げています。ロシアの侵攻に震え上がったヨーロッパ諸国も軍備拡張に乗り出しているので、ここからさらに利益が得られるでしょう。また、ロシアに対する経済政策の結果、エネルギー価格が高騰しています。アメリカには石油もガスも売るほどありますから、これもアメリカの利益になります。さらに、戦争が始まって以降、何度か停戦交渉が行われましたが、アメリカが停戦を後押ししたという話は聞こえてきません。さらに、戦争が長引くにつれて、ロシアの国力に対する悪影響は深刻化するでしょう。この戦争はアメリカの国益に合致しているのです。
自分たちの手は汚さず、武器だけ送って利益を得る。そして、敵対的な大国の力を殺ぐ。これが私の言う「ウクライナ・モデル」です。台湾や尖閣などで有事が起こった場合、アメリカはこのモデルを適用すると思います。台湾人や日本人を中国人にぶつけ、自分たちの手は汚さない。
殺し合いは黄色いサルどもにやらせておけばいい。これがアメリカの本音でしょう。バイデンが日本に来たとき、台湾防衛を明言したあと、すぐにそれを否定するということがありましたが、あれはおそらく意図的にやっています。現在のアメリカの権力中枢とその近傍では、東アジアで大きな紛争が起こっても構わない、というかそれは不可避であり、あとはどうやってそれを通じて自分たちの利益を最大化するのか、というスタンスになっていると思います。日本の防衛費倍増という話も、アメリカの軍需産業をたんまり儲けさせますからね。
残念ながら日本はこの戦略にまんまと乗せられると思います。それは安倍政権であれ岸田政権であれ変わりません。もともと自民党はCIAの資金でつくられた政党ですから、アメリカに追従するしか能がないし、なにせここにあるのはアメリカを頂点とした「戦後の国体」と言うべき権力構造なのです。戦前の天皇制ファシズムの相続人たる親米保守支配層は、この国体を護持するために日本国民の生き血をすすり続けるでしょう。最近、安倍氏が興奮して「核シェアリングだ」「敵地攻撃能力だ」と喚いていますが、アメリカは「またこいつを使うか」とでも思っているのではないでしょうか。実際、日本の核武装を許容するべきだといった議論がいまアメリカでどんどん出てきているそうです。
―― 日本が中国とぶつかると、日本で排外主義が強まるはずです。アメリカはそれを良しとするでしょうか。
白井 アメリカがそれを受け入れるかどうか、一つの指標になるのは、アメリカが日本の歴史修正主義者たちにどういう対応をとるかです。これまでアメリカは歴史修正主義を厳しく批判し、たとえば安倍氏が首相として二〇一三年末に靖国参拝したとき、アメリカは「失望した」と強く非難しました。そのため、安倍氏はそれ以降、首相として靖国に参拝できなくなりました。
靖国参拝問題では中国や韓国の反応に注目が集まりますが、靖国にはA級戦犯が祀られていますから、靖国参拝は連合国全体への不満表明を意味します。あのときアメリカは表向きは「アジアで余計な波風を立てるな」として、アジアへの配慮を打ち出しましたが、本質的にはアメリカ自身にとっても不快なことなのです。
しかし、もしアジアで戦争が起こった場合、アメリカとしては日本人にウクライナ人たちと同じように命懸けで戦ってもらわなければなりません。それでは、日本人の好戦性を呼び覚まし、戦争で死ぬ覚悟を持たせることができる社会勢力は誰か。現状でそれは安倍氏のような歴史修正主義者たちです。アメリカにとって彼らの歴史修正主義は不快ですが、日本に戦争をさせるためには彼らの力が必要なのです。しかも、この日本の右派の主流は親米保守ですから、彼らのナショナリズムの攻撃性がアメリカに向かうことはない。だからアメリカから見ると、安牌ですね。したがって、アメリカはアジアでの戦争を望まない限りでは日本の歴史修正主義を批判するでしょう。しかし前提が変わったらどうなるのか。日本の歴史修正主義者たちを批判しなくなれば、そのときはアメリカがついに東アジアで戦争を辞さずという決断をしたと見ることができます。
―― 「二〇一二年体制」からの脱却が急務です。
白井 私はこの体制を平和裏に終わらせるため、著作を発表して問題のありかを指摘するなど、自分なりに努力してきたつもりです。しかし、その試みはうまくいきませんでした。この体制が崩壊するとすれば、もはや革命か戦争しかないように思われます。いずれにせよもうこの体制はもちません。いまの日本で革命が起こるとは思えないので、やはり戦争でしょう。そして、その可能性はどんどん高まっています。日本はそれほど危機的な状況に立たされているということを、多くの人に理解してもらいたいと思います。
<5月27日 聞き手・構成 中村友哉 初出:月刊日本7月号>)
【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
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