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【そんな昔から?】寺田理恵子さんの「あの店」でのアルバイト経験に時代の流れを感じると話題に
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(出典:ENCOUNT) |
寺田 理恵子(てらだ りえこ、1961年7月15日 – )は、日本のアナウンサーである。元フジテレビジョンアナウンサー。生島企画室所属。A型。アイドル女子アナの元祖と呼ばれている。 東京都世田谷区出身。東京女学館中学校・高等学校を経て、聖心女子大学文学部外国語外国文学科英語英文学専攻を卒業。社会人に
13キロバイト (1,413 語) – 2022年5月9日 (月) 06:04
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元フジテレビアナウンサーで現在はフリーで活躍する寺田理恵子さん(60)。聖心女子大学在学中にテレビ朝日系の人気番組「クイズタイムショック」でアシスタントを務め、フジテレビ入社翌年には「オレたちひょうきん族」2代目アシスタントに抜てきされお茶の間の人気者になりました。そんな寺田さんが学生時代、人生初のアルバイトに選んだのはレストラン「アンナミラーズ」でした。
国内最後の店舗、高輪店が8月末で閉店と知った寺田さんは「ショックです。寂しいです」。「アンナミラーズは私の思い出の店です。閉店前にもう一度、あのパイを食べてみたいです」という寺田さんに当時の思い出を語ってもらいました。
「アンナミラーズで学んだのは気配りです」
アンナミラーズといえば何と言っても制服のかわいらしさが人気ですが、寺田さんも制服にあこがれて応募したのでしょうか。
「親友がアンナミラーズでバイトしない?って誘ってくれて。『制服かわいいね。2人一緒ならやりたいね』と申し込んだら2人とも合格しました。自由が丘店でした。制服はピンクとオレンジがあり、ピンクをよく着ていた記憶があります。白い靴まで決まっていて。『RIEKO』の名札もつけさせてもらいました。当時はテニスブームの真っ只中で、スコートの下に履く見えても大丈夫なインナーをアンミラの制服の下に着ていました。バイトの先輩がスカートの中が見えてしまわないようにと『物を拾うときは膝を曲げて拾ってね』と教えてくれました」
客席は近隣の学生たちで活気にあふれ、夜には有名芸能人も多く訪れていたそうです。
「当時の自由が丘は学園の街でしたので、店内はとにかく学生が多かったんですよ。日中は学校帰りの高校生や大学生たちでいっぱいでした。私は慶應のサークルに入っていたんですが、サークル仲間やお友達がよく来てくれました。夜には有名な俳優さんがお仲間と来られてはワイングラスを傾けていらっしゃいました。すごく印象に残っています。常連のタレントさんもいました。キラキラした青春時代、アンミラで楽しませていただきました(笑)」
トレンディドラマのような世界を想像してしまいますが、同チェーンは老舗食品メーカーの井村屋グループが運営しており、研修や業務内容は厳格だったといいます。
「店長や女性のチーフ、先輩たちが接客業のマナーをしっかり教えてくれました。ケーキの切り方やお皿に載せる位置なども特訓してもらい、切りそこなったケーキを休憩時間に格安なお値段でいただいていたら、3カ月で3キロ太りましたが(笑)。中でも一番学んだのは気配りです。お客様に対しお尻を向けてはいけないと教えられ、店内をまんべんなく見渡し、食べにくそうにしている方にはフォークをお持ちしましょうかと声をかけたり、お子さん連れにはお皿を追加したり。困っている方はいないか、何か不備はないか、常に気を配っていました」
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