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岩崎良美×「タッチ」、たかじん×「ガンダム」、飯島真理×「マクロス」… 歌手たちの人生を変えたアニメソングとの出会い
(出典:ラジトピ ラジオ関西トピックス) |
アニメソングは、主にアニメ作品で使用される主題歌・挿入歌・イメージソングなどの歌曲、楽曲の総称。アニソンと略される。 アニメ(anime)と、歌、曲を意味するソング(song)を組み合わせた新語または造語の英語圏で使用されない和製英語。レコード、CDの販売や音楽配信において、主にアニメと分類されるジャンルの曲を指す。
61キロバイト (8,263 語) – 2022年5月8日 (日) 10:39
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2022/05/17
昭和の大歌手たちの人生を変えたアニメソングとの出会いとは……アニメ産業が飛躍的に発達した1980年代に起こった、アニメソングをめぐる人生ドラマについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 菜津美ちゃんは、アニメは観るほうですか?
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 そうですね、学生時代に『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』が流行った世代なので、よくチェックしてるほうだと思います。アニメソングも好きですね。
【中将】 今の若い世代の間では、アニメソングは音楽のジャンルの1つとして、ごく自然に受け入れられていますね。日本ではテレビアニメの流行をきっかけに1960年代から数多くのアニメソングが作られるようになりましたが、実は1980年代頃まで音楽シーンにおけるアニメソングの地位はあまり高いものではありませんでした。
【橋本】 そうなんですか!?
【中将】 子ども向けの音楽というイメージが強かったんでしょうね。実際に当時のアニメは子ども向け作品がほとんどだったし、曲も面白おかしいものが主流でしたし。歌手にもアニメソングを歌うことに抵抗を感じる人が多かったんです。
【橋本】 現代とは全然違うんですね…今はむしろアニメソングを担当したいという歌手やミュージシャンのほうが多いと思います。
【中将】 そういった状況が変化してきたのが1970年代後半頃からでしょうか。少しずつ大人もアニメに関心を持つようになった影響か、歌謡曲、ポップスとしても非常に質の高いアニメソングが生まれるようになりました。1980年代はアニメソングの黄金期と言っていいほど数々の名曲が生まれていますが、中でも特に有名なのは岩崎良美さんの「タッチ」(1985)じゃないでしょうか。
良美さんは先に歌手デビューしていた岩崎宏美さんの妹として鳴り物入りで1980年にデビューしました。宏美さんに負けない歌唱力が評価され『NHK紅白歌合戦』にも出演しましたが、シングルがいまひとつヒットしない。そんな悩ましい日々の中で出会ったのがアニメ『タッチ』の主題歌であるこの曲だったわけです。「タッチ」はオリコンウィークリーランキングで最高12位、1985年度の年間ランキングでも39位というヒットを収めました。
【橋本】 確かにヒットですが、私は「タッチ」はアニメソングの歴史でトップ5に入るくらいの大ヒットだと思っていました。なのに、ウイークリーランキングでは最高12位止まりだったんですね……。
【中将】 いい指摘だと思います。当時のアニメソングはヒットしても急浮上はせず、トップ10位に入ることは極めて稀だったんですね。購買層が若かったことなどいろんな要因があるとは思いますが……。
ともあれアニメの世界観を生き生きと表現した「タッチ」はロングヒットとなり、現代でも多くの人に愛されています。良美さん自身もこの曲以降、「愛がひとりぼっち」(1985)、「情熱物語」(1987)などアニメ『タッチ』シリーズの主題歌をいくつもヒットさせ、歌手としての地位を確立されました。
【橋本】 まさにこの曲との出会いが良美さんの人生を変えたんですね!
【中将】 その通りです。タッチシリーズ以外にもとってもいい曲が多いので、「タッチ」に興味を持った人にはぜひいろいろと聴いてほしいですね。
イメージは180度変わっちゃいますが、やしきたかじんさんもアニメソングとの出会いで人生が変わった人の1人です。1981年に放映された劇場版『機動戦士ガンダム』のイメージソング「砂の十字架」(1981)がたかじんさんにとって初のヒット曲。
【橋本】 たかじんさんがガンダムの曲を歌ってるなんて意外でした!
【中将】 晩年は政治色の強い情報番組の司会者として有名だったたかじんさんですが、そもそもはシンガーソングライター出身です。1971年に「娼婦和子」でデビューするも内容が問題視されて発売中止に。1976年に「ゆめいらんかね」で再デビューして実力は認められていたんですが、なかなかヒットが出ませんでした。
そんな中、当時たかじんさんを担当していたレコード会社のディレクターが上司に「たかじんにレコードを出させてください」と土下座しながら直訴し、その結果、劇場版『機動戦士ガンダム』のイメージソングとして制作されたのがこの曲なんです。ところが、たかじんさんはこの仕事に難色を示しました。