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W杯切符を手にしたものの…森保ジャパンの苦戦の背景 誤算だったキーマン離脱と欧州組の負傷連鎖
東スポWeb
最終予選の初戦・オマーン戦でつまづいてしまった森保監督(東スポWeb)
【なぜ森保ジャパンはなぜ苦戦したのか(1)】日本代表はカタールW杯アジア最終予選を突破し、7大会連続の本大会切符を獲得したものの、過去にない苦戦の連続だった。始まりは昨年9月2日の最終予選の初戦だ。日本は格下オマーンにホームで0―1とまさかの黒星。攻守に精彩を欠き、まさに完敗だった。
欧州組がシーズン開幕直後で長距離移動を強いられ、試合前の活動期間も少ないなど不利な要素はあるが、加えてこの時はキーマンが次々不在となったことが響いた。
まずは守備陣の大黒柱ともいえるDF冨安健洋。当時所属していたイタリア1部ボローニャからイングランド・プレミアリーグの名門アーセナルへの移籍交渉が進んでいた。移籍期限を前にメディカルチェックなどに備えるため、協会側は配慮して招集を見送り。反町康治技術委員長は「今後の日本サッカーにとってもアイツにとっても大事。こちらがイエスと言わざるを得ない」と苦渋の決断だった。
続いて中盤で存在感を高めていたMF守田英正(サンタクララ)にアクシデントが発生。同8月29日のジル・ビセンテ戦に出場後に移動しようとしたが、新型コロナウイルス感染対策に伴う入国措置で政府と協会の間で取り決めていた「3日前入国」に間に合わないことが判明し、第2戦の中国戦が行われるカタール・ドーハからの合流を余儀なくされた。
そして決定的だったのが10番を背負うMF南野拓実(リバプール)の欠場だ。オマーン戦直前に左太ももを負傷し、ベンチ入りこそしたがプレーできる状態になく、試合後に離脱した。2次予選で出場7試合連続ゴール中だったエースの負傷で決定力不足が深刻化した。
さらに同10月の第3戦サウジアラビア戦でも日本は0―1と敗れて崖っぷちに立たされたが、その前にもアクシデントが続発。第2戦の中国戦で活躍したMF久保建英(マジョルカ)がクラブでのレアル・マドリード戦で右ヒザを負傷して長期離脱。絶好調だったFW古橋亨梧(セルティック)も中国戦で右膝を負傷した影響でメンバーから外れた。攻撃陣の大きなカードを失った日本は、苦手の中東アウェーでなす術なく敗れた。
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