あわせて読みたい
山本耕史 「鎌倉殿の13人」でせりふめぐる事実に驚き
1: 湛然 ★ 2022/01/29(土) 05:51:46.21 ID:CAP_USER9山本耕史 「鎌倉殿の13人」でせりふめぐる事実に驚き「ドラマで説明するべきですよね」
[ 2022年1月27日 21:00 ] スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/27/kiji/20220127s00041000548000c.html
俳優の山本耕史Photo By スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/27/jpeg/20220127s00041000546000p_view.jpg俳優・山本耕史(45)が、27日放送のNHK総合「日本人のおなまえ」(木曜後7・57)にゲスト出演し、放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)の役名にまつわる事実に驚きを口にした。
この日は同作に出演する中川大志とともに出演。自身がふんする三浦義村、中川演じる畠山重忠ともに平氏の出身であることを知らされると、山本は「自分たちがやっているんですけど、難しくて、こういうところで見ると、なるほどなってすぐにふに落ちる部分があって」とうなずいた。
平氏はもともとは皇族だったものの、天皇や朝廷から姓を与えられて皇籍から外れた人たちの血筋。当初は姓と名前の間に“の”を付けるルールだったが、時代の移り変わりとともに混同され、天皇から与えられた姓を持たない人も、名字と名前の間に“の”を付けるケースがあったという。
中川が演じる畠山は、与えられた姓ではなく、自分たちで名乗り始めた名字。名字をめぐっては、山本は撮影で体験したあるエピソードを披露した。「この間、そのシーンを(撮影した)。『相手の大将は誰だ?』と、今後(の登場シーン)なんですけど、『畠山重忠だ』と台本上に(載っていた)。そしたら、時代考証の方が来て、『“の”を入れて下さい』と」。せりふとしては「はたけやまの・しげただ」と読むよう指導されたという。
山本は「あ、そうだったって思ったんですけど、ただそれが決まりだと思ってたんですけど、そのへんが僕も…。今それを聞いてなるほどなと思って」と合点がいった様子。さらに「それ、ドラマでちゃんと説明するべきですよね」と訴えた。
番組を通じ、“の”について学びを深めた山本。だが、役作りとすり合わせると、若干の後悔も口にした。「僕の役がちょっと斜に構えた役で、あまり人をたたえる役じゃないんです。そこ(せりふ)に“の”が入ることによって、丁寧語に感じちゃったんですよ。でもその話を聞くと、むしろなかった方が、義村っぽかったんじゃないか?と、今ちょっと思いました」。すると、MCのフリーアナウンサー古舘伊知郎は「次回から時代考証の方と戦って下さい!」と山本をあおり、笑わせた。
(おわり)
ネットの反応
源平藤橘は家系を表す「氏」(うじ)
「姓」は朝廷から賜った「朝臣・宿禰」などの八色の姓(やくさのかばね)
「名字」は豪族が自分の名田(みょうでん)から取って付けた字(あざな)
下に「の」が付くのは氏だけのはず
名乗りの名字でも「の」がついたら雅でカッコいいからうちらも「の」を入れてみようぜ!名字に「の」は入れちゃダメ?知らんがな。入れるよ!
ってなって、やっぱそれもどうかな…となったりならなかったりの時代の説明なんだから何もおかしくない
そうだね、「の」の説明はちゃんと書いてあった
言いたかったのは「姓」を「氏」と混同してることだけ
ほんまや知らんかった
みなもとのとか
たいらのとか
ふじわらのとかいうな
たちばなってのは歴史上の人物であんまり知らんな
橘氏はかなり早い時期に途絶えてるからあんまり有名人がいないのは仕方ない
江戸時代の大名だと吉川、黒田、立花あたりが橘を自称してるが多分ウソ
足利将軍なんかも家臣には「源義政」と名乗るんだけど「みなもとよしまさ」なんだよな。これは後に知ったことだけど
真希
最初は藤原を名乗り
征夷大将軍に成るため源氏を名乗る
家系図を捏造するために必死だった
元の出自は三河土着の半農足軽
江戸時代でも平家か源氏の子孫名乗る人ばかりだったんだろ
大したことじゃない
とよとみのひでよしってウィキペディアに書いてある
信長はたいらののぶながじゃなかったっけ
元々別だった物がごっちゃになってる過渡期の話だって
那須与一
高師直
はい論破
なんかうっちゃんが
NHKのお偉いさんやってるコントで言いそうな感じやな
You Tubeで昔の喋りで日常会話してるのとかあるけど
何言ってるのかさっぱりわからんくてオモロイ
あれでやって日本語字幕入れたら新鮮だと思うけど
役者が死ぬなw
現代語を使ってない時代劇があるのか?
MC古舘……
幕府が出来て俺ら武士だしの付けるのダセくねって風潮になるんじゃね
考証の先生はそう考えたと
キラキラネームのほうが主流になっていく感じか
誰、が分かれば
入りが「伊東のじさま」だったから、田舎のノリで「どこどこの家のだれだれ」みたいな感じで違和感はない
けど、鎌倉に本拠地定めて頼朝が大軍の主になった後にも続けたら違和感が出てくるかもしれんね
お互いを諱で呼ぶなんて有り得ないことに考証担当者は気づけよ
そら気づいてるだろ当然。
全部を当時の通りにしたら訳わかんなくなるし、
その一方で当時の雰囲気を出来るだけ再現しないといけないし、
考証担当の人は板挟みで大変なんだろうと思う
まぁだいたい当時の事ホントに見てる人なんて実際には居ないわけでwww
文献が残ってたにしろ「僕の考えたかまくらじだい」みたいなのがあるのは仕方ないよね
山城の新伍
平家と平氏の戦いでもある
この回で言っていたけど
頼朝の配下の殆どが平氏側の人間だったんだって
坂東平氏が蔓延る関東で源氏がそんなにいると思うのが凄い
平氏と平家の違いも理解してないのは仕方ないかも知れんが
NHKで説明を意図的に抜いてたけども平将門の乱が影響してて、平清盛の祖先・平貞盛と平将門派は同族・叔父甥・従兄弟で争いをしてる
平清盛の祖先がいわゆる伊勢平氏って呼ばれて、そこだけ朝廷に仕えて発展して後に貴族階級にまでなって平家一門となる
他は関東(坂東)で在地武士化して坂東八平氏って呼ばれて子孫を増やした
平家にあらずんば人にあらず
に一番怒りを感じるのは平氏の人達なのか
もしかして
伊勢平氏も板東平氏の祖先は臣籍降下した高望王の息子たちなんで同族と言えなくもないが、感覚的にはかなり遠いほぼ別族
清和源氏の源頼光頼信兄弟が摂津源氏、河内源氏と分かれて摂津源氏が頼光で摂関家に結びついて宇治川合戦の三位頼政、河内源氏が関東地盤の八幡太郎義家→頼朝になったのとほぼ同じ
保元の乱も平治の乱も源平入り乱れてるが
逆に源平がはっきり分かれてる戦いのほうが無くね?
もしかして戦国大名って全部元皇室出身者だらけなの?
だとしたら戦国時代って壮絶な御家騒動ってこと?
皇室っていうか皇子が臣籍降下(一般人化)して土着化してった
殆どの戦国大名はその傍系だったり家来筋だったりがほとんど
日本国民はみんな家系をたどると皇族に行きつくんだよw
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1643403106/