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【北朝鮮工作船事件20年】引き揚げた船 「自爆」と書かれたスイッチあった 元警備課長補佐
奥島高弘・海上保安庁長官=東京・霞が関の海上保安庁で2021年12月9日、米田堅持撮影
鹿児島県・奄美大島沖で、北朝鮮の工作船が海上保安庁の巡視船と銃撃戦の末に沈没した2001年の事件から22日で20年。連載の第3回では本庁警備救難部警備課の課長補佐として事件の対応にあたった奥島高弘海上保安庁長官に当時の様子や経験の伝承、今後について話を聞いた。(第3回/全3回)【米田堅持】
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「能登半島沖の不審船事件の時に悔しい思いをしているので、今度こそはというものがあった」
事件発生当初、本庁警備救難部の課長補佐として対応に当たった奥島長官は、当時の心境をこう語る。
午前2時ごろ、自宅にいた奥島長官は緊急の呼び出しを受けた。「防衛庁(当時)からの情報ということもあり、それなりの見立てをしているだろうから、今度は本物だと思った。他の職員もその前提で動いていた」と緊張したままタクシーで登庁した。
登庁後は文字通りの缶詰め状態で事件対応にあたった。
「午前2時過ぎから始まって、(銃撃戦後に自爆と思われる爆発で)沈んだのが午後10時過ぎ。そこまでで20時間ほど経過しているが、沈んだ後の救難対応もしないといけなかった。彼らは助かろうという意思がなくて助けられなかったが、その後も報告や報道対応に忙殺された」と当時の様子を述べた。
ロケット弾の光跡の映像の解析にも携わった。
「当時は、現場で起きている事柄をいかに国民に知らせるかということを非常に気にしていた。私自身も会見に同席して、ロケットランチャーの解析結果を公表した。撃った者でないと分からないが航空機の映像を見る限り、航空機に当たる感じではなかった」「持っているであろう武器として想定していたものの一つではあるが、本気で彼らは撃ってきたのだ」と実感したという。
(略)
毎日新聞 2021/12/22 14:00(最終更新 12/22 14:03) 2595文字
https://mainichi.jp/articles/20211220/k00/00m/040/098000c