あわせて読みたい
【フェイク】日帝が朝鮮を見下すために『崇礼門』の名前を『南大門』に変えた
1: Ttongsulian ★ 2021/09/30(木) 11:35:22.21 ID:CAP_USER
「現在の南大門は日帝時代の時、日本人たちが崇礼門を南大門に変えてできた名前だ。崇礼門の『礼』の意味は『礼儀』という意味だ。日本は植民地だった我が国を当然見下して呼びたかったはずだ。崇礼門は日本人たちにムリヤリ南大門に名前を変えられたのだ。日本は我が国を少しでも見下すために正門の名前を変えてしまったのだ。」
あるブログにある文です。事実でしょうか?
しかし、『南大門』という言葉は日帝が付けた名前では有りません。
「正北は粛清門、東北は弘化門や通称東小門とし、正東は興仁門や通称東大門とし、東南は光熙門や通称水口門とし、正南は崇礼門や通称南大門とし、西南は昭徳門や通称西小門とし、正西は敦義門であり、西北は彰義門と言った。」
これは《太祖実録》5年(1396)9月24日の時の記録です。
これで日帝が崇礼門を見下すために南大門という名前に修正したのではないことが明確に分かります。朝鮮初めの太祖の時から既に通称で『南大門』や『東大門』とも呼ばれていたのです。
これと共に、多くの人々が『京城』というソウルのまた違う別名も日帝強占期にできた名前と誤解していますが、これも《先祖実録》30年1月27日に既に出ている名前です。
日帝が歪曲した歴史は正さなければなりませんが、このような誤解は無くさなければなりません。
2021.08.30 22:08:32 (韓国語)
https://koya-culture.com/mobile/article.html?no=131855