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中国斬り寸前で蘇った張本智和の言葉 帰化から10年、他人を認めない「ネットの声」の受け流し方
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パリ五輪中、各競技で結果に納得のいかない人の声がネットで選手、関係者にぶつけられている。心の痛みを発信する選手も現れた。誹謗中傷が社会問題化して久しい。「多様性」という言葉も耳慣れたものになったが、頑なに他人を受け入れない人もいる。心無い言葉をぶつけられた側はどう対処すればよいのだろうか。
そんなことを考えながら張本の奮闘を見ると、19歳だった2年前に聞いた彼の言葉が蘇った。
2022年世界卓球団体戦(中国・成都)の男子準決勝。日本は中国に2-3で惜敗したが、2勝をもぎ取ったのが、当時シングルス世界ランク4位の張本だった。同1位の樊、同11位の王楚欽を撃破。9連覇中だった絶対王者を追い詰め、世界に衝撃を与えた。
両親は中国・四川省出身。父はプロ選手として活躍し、1990年代に日本へ移り住んだ。自身は宮城・仙台市で生まれ、ラケットを握り始めたのは2歳の時。幼い頃から全国大会で活躍し、11歳を前にした2014年の春、5歳下の妹・美和とともに日本へ帰化した。
近年、多様性の流れが加速してきたとはいえ、これまで風当たりが強くなかったわけではない。「最初は別に何も気にしていなかった」と外野の声に無関心。しかし、活躍とともに少しずつ名前が売れ、「15、16歳の頃」にはネット上のコメントに傷つく瞬間もあった。
ただ、今は違う。自身のルーツとなる国と激闘を繰り広げた試合直後、「帰化選手」の境遇に対する本音を明かしてくれた。
「実際に自分と接してくれた方で、嫌なことを言って来た人は一人もいません。幼稚園から卓球を始めて、出会った選手、スタッフの中で嫌だった人は一人もいないです。今ではネットでそういうことがあることは、仕方ないと思っています。
もし、自分がもともと日本人だったとしても、何か言われることはあるでしょうし、親が日本人であってもあると思います。最初はちょっとつらい気持ちがありましたけど、どんなトップ選手でもあることなので、今は嫌なことは全くないです」
傷ついた時期は「試合に負けるよりはマシ」と意識を卓球台だけに向けた。周りから可愛がられるちょっといたずらっぽい性格。
「直接、嫌なこと言われたことは本当に一回もないですよ。まあ、裏ではわからないですけどね(笑)。みんな最初から温かい気持ちで接してくれる。僕の親が中国人だと全く感じないくらいスムーズに生活してこられた」
鬼神のごとく気迫を出して戦ったコート上とは一変。同じような境遇で悩んでしまう子どもたちへ、メッセージを送ってくれた。
「ジェンダーのことだったり、いろんな『人』『事』を国際的にもどんどんと受け入れてもらえる中で、そういうことを認めていない人もまだまだいます。でも、気にせず、自分が納得して気持ちよく過ごすことが大切。自分が正しいと思うことをすればいいと思います。
何をしても言ってくる人もいます。例えばですが、挨拶をしただけでも『挨拶してくるな』と言う人もいる。自分が100%良いことをしても、悪いことを言う人がいる。本当に気にせず、自分が正しいと思うことをしっかり一生懸命頑張ればいいんです」
19歳でここまで言えることが素晴らしい。もちろん「多様性」とは“全てを受け入れろ”と押しつけることではない。ただ、もう少し他人を認めてみることも必要ではないか。
パリで世界王者をあと一歩まで追い詰めた激闘。敗戦直後、悔しさを残しつつ、清々しく握手を交わす姿を見ると、当時の言葉が改めて胸に刺さった。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)
2024.08.02
https://the-ans.jp/column/445722/