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戦後日本のアニメの発展とその役割-中国専門家
記事は、「日本のアニメやその派生文化であるACGがますます注目を集めている。しかし数十年前には、アニメは日本国内で疑問視されることの多いマイナーな文化だった。それが今日では年齢や地域を超えて世界中で愛され、日本の国家イメージを支える戦略としてまで認知されるようになったのはなぜだろうか」とし、華東師範大学副教授の潘妮妮(パン・ニーニー)氏の見解を紹介した。
「芸術作品には時に、創作者が現実社会を意識的または無意識に映し出している場合があるが、国家が意図的に利用することもある。では、芸術家とその国との関係はどのようなものか?」という質問に対し、潘氏は「芸術家と政府の関係は、単純な二者関係ではなく、重なり合った関係で、その間には大衆が存在する。したがって、これは三者関係といえるだろう。例えば、手塚治虫氏の多くの作品は批判的な要素が含まれている。特に『火の鳥』や『奇子』『メトロポリス』などは何かを風刺しようという意図が明確だ。しかし、ここで重要なのは、影響力の大きい芸術家の作品は、まず人々に見られなければならないということ。つまり、誰かがそれを広めたいと思うことが重要なため、大衆の受け入れやすさやテレビ局のような大衆メディアの受け入れやすさ、アニメの投資家の受け入れやすさを考慮する必要がある。したがって、芸術家は必ず何らかの調整を行い、完全に自分勝手に創作することはできない」と説明した。
次に、「漫画という芸術形式は主に少年少女を対象としているが、なぜ日本の漫画にはしばしば大人向けの哲学的思考が見られるのか?」との質問に対しては、「漫画は視覚的で理解しやすい表現方法であるため、基本的には子どもや未成年を対象としている。また手塚氏ら漫画家は、戦後の日本が精神的に打ちのめされていると感じ、その状況を改善するために、未来を担う子どもたちに対して良い影響を与えるべく、漫画に深い哲学的な内容や希望を込めようとした」と紹介した。
「日本のアニメと米国のアニメの芸術性や精神性にはどのような違いがあるか?」との質問については、「アニメという動的な画面表現の芸術形式は西洋で最初に登場した。第2次世界大戦中には、戦争に関する漫画を大量に制作し、士気を鼓舞した。戦後、駐日米軍が持ち込んだ大量の漫画が日本の子どもたちの精神的な糧となり、それが戦後の漫画出版ブームを引き起こした。戦後の日本アニメは米国を手本としていたため、当時の主流は米国や欧州の作品をまねたり、再構成したりしたものが多く、手塚氏のような思想性の強い漫画は少数派だった。しかし、次第に日本の漫画は独立し、より動的な表現を重視してコマ割りや画面構成に独自性を持ち始めた。その結果、日本のアニメはディズニーのモデルやソ連のスタイルを取り入れつつも、独自のスタイルを生み出したのだ」と述べた。
「アニメはどの国にもあるが、日本は特に高い地位を持ち、非常に成熟した産業となっている。どのような社会的地盤が日本のアニメ産業の繁栄を促進したのか?」との質問には、「日本のアニメ産業が本当に強いかどうかは議論の余地がある。アニメは多くの収益を上げているが、制作に携わる人々の報酬は非常に低い。これは、日本のアニメ産業が強力である一方で、独立した産業としては米国ほど整っていないことを示している。しかし、アニメ文化としては、手塚氏の功績は非常に大きい。アニメはもともと子どもや比較的教育水準が低い人々を対象としていたが、手塚氏をはじめとする制作者たちは、アニメを真剣な文学と同等のものとして発展させ、米国にはない社会に影響を与えようという強い意識を持っていた。その結果、日本のアニメは非常に豊かな精神世界を持ち、日本を代表する文化となった」と回答した。
以下全文はソース先で
Record China 2024年7月21日(日) 11時30分
https://www.recordchina.co.jp/b937118-s25-c30-d0201.html
https://d32xtqhs6m4dwf.cloudfront.net/newRc/m1200/20240716/801d2fc092cfc2942108ab69438240b1.jpg