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【韓国】韓日関係、「善くないサマリア人」と共存する知恵を学ぶ時だ
その最後の部分は「倭人を屠殺しよう」という内容だ。屠殺は肉屋で牛や豚を刃物で切って分けるという意味だ。なぜこのような詩をここに貼っているのか気になった。
管轄部署に尋ねたところ「倭人(日本)大使館に行くには安国駅で降りなければいけないため」「安国駅一帯が独立運動の街であるため」という説明を聞いた。
韓国に来る日本人がこれを読むとどんな気持ちになるだろうか。これは文明国家がすることではない。立場を変えて考えてみよう。東京銀座の電車駅に「朝鮮人を切り殺そう」という文字が貼られていれば、これを見た韓国人の気分はどうだろうか。
「倭人を屠殺しよう」という詩句を見て複雑な気持ちになるのなら「土着倭寇」として攻撃されるかもしれない。
111年前の1910年8月27日、韓日併合条約署名の前後の朝鮮は、自分たちも気づかないうちに日本に染まりつつあった。親日を犯しながらもそれが親日かどうかも知らずに慣れていった。1926年の李完用(イ・ワンヨン)の葬儀では行列が十里も続き、高宗の国葬以降で最も大きな規模だった。
愛国志士には本当に申し訳ない話だが、その時代の韓国人は帝国大学を卒業し、高等文官試験に合格して郡守や判事に出世し、タクシーに乗って鍾路(チョンノ)の和信(ファシン)百貨店でショッピングをする人を羨んだ。
(割愛/ソース元参照)
人種差別問題の権威者、英国のアンドリュー・リグビは「過去の清算は政敵を引っ掻くものではいけない」と力説した。領土もなく国家もなく国民もない状況で一個人が憂国的な気概だけで抗戦するのは限界があった。
こうした論理が亡国の責任者に免罪符を与える論理になってはいけないが、敵の治下で4年間過ごした反逆者を処理できなかったフランスとはケースが異なる。
昔から巨富は亡国の瞬間や残酷な戦争を踏んで現れた。したがって我々は亡国を招いた彼らの罪状を歴史に記録しておくこと以外に方法はない。我々は過去を抱えて暮らし、過去と共に進む方法を学ばなければいけない。
◆過去とともに生きることに慣れるべき
もう我々は日本に抑圧されながら生きる理由はない。2020年基準で1人あたりの総所得(GNI)は日本が4万1580ドル、韓国が3万2860ドルだった。国別の物価を反映したビッグマック指数でみると、韓国が日本よりはるかに豊かな暮らしをする。もう「日本コンプレックス」から抜け出してもよいということだ。
フランスの啓蒙主義哲学者モンテスキューの『法の精神』日本編によると、島の民族は隣の民族に多くの傷を負わせるため島の民族の隣の民族は苦労が多いという。日本の隣にいる我々も地政学的な宿命の例外ではないようだ。
なら今後、韓日関係をどう維持していくべきなのか。「合意は守られなければならない(Pacta sunt servanda)」というラテン語の格言を見てみよう。
現在の政府と路線が異なる過去の政府が約束したものなので守ることはできないという論理は「下之下策」だ。日本の右翼は「それでも国か」と批判し、さらに命脈を維持してきた日本国内の少数の知韓派知識人までも離脱させたのは文在寅(ムン・ジェイン)政権の責任だ。
柳成龍(リュ・ソンリョン)の『懲毖録』によると、朝鮮初期の「現実主義外交の達人」と呼ばれた申叔舟(シン・スクジュ)が1475年に落命する際、成宗が都承旨を派遣して「卿が私に最後に残す遺言は何か」と尋ねた。
申叔舟は「日本と対立しないでほしい(不失和日本)」という言葉を残して目を閉じた。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を100年余り先にした時期だった。
中国が急浮上した21世紀に安全保障を考えると、申叔舟の遺言は依然として韓日関係に有効だ。過去への行き過ぎた執着も、過度な期待も失望も、一喜一憂も正解でない。あきらめることはあきらめて「善くないサマリア人」と共に暮らしていく方法を学ぶべきというのが我々の宿命的な課題ということだ。
シン・ボクリョン/元韓国政治外交史学会長/元建国大客員教授
中央日報 2021.08.26 13:41
https://japanese.joins.com/JArticle/282312