※ 2024/06/22
文春オンライン
結婚相談所「マリーミー」の代表を務める、婚活アドバイザーの植草美幸さん。
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』「結婚したい彼と彼女の場合~令和の婚活漂流記2024~前編・後編」での密着でも注目された彼女に、婚活アドバイザーとなるまでの経緯、男女の結婚観の変容などについて、話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
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“人と企業”を結ぶ仕事から“人と人”を結ぶ仕事へ
ーー婚活アドバイザーをする前は、アパレル業をされていたそうですね。
植草美幸(以下、植草) 2008年にリーマンショックが起きるまで、アパレルの事業をしていました。お店を25店舗運営しておりまして、販売員が150人から200人ぐらいいて。あとは販売員を指導する講師、デザイナー、パタンナー、生産管理などを全国のアパレル企業に派遣していました。
ーーどれくらい続けていたのですか。
植草 15年ぐらいです。リーマンショックの時に、派遣していた方たちが戻ってきちゃったんですよ。いわゆる“派遣切り”です。自分の会社の販売員さん達も余ったのですから、派遣スタッフなど置いておけないという状況だったのでしょう。25店舗あったお店も、どんどん減っていって15店舗ぐらいになって。これは完全に時代が変わってきたなと、でも何をやればいいかなと。
ーーで、結婚相談業を。
植草 それまでは人と企業を結ぶ仕事をしていたけれど、人と人を結ぶ仕事をやろうと。でも、わりと似ているようなところもあるということに気付いて。
それと、私の母が数十年前に仲人をしていたんです。業にしていたというわけではなく、父が経営していた会社の社員の仲人を務めたんですよ。独身の社員が30人くらいいて、全員を1年間で結婚させたんです。そんな母の姿を小さい頃に見ていたから、潜在的に影響みたいなものを受けていたのでしょうね。
それで、アパレル以外の事業を考えて、老人ホーム、保育園、結婚相談業の3つが候補として社内で挙がって。各々の事業計画を立ててみると、開業までに相当な年月がかかったり、投資金額が膨大だったりしたのですが、あるスタッフが「そういえば社長は、これまでたくさんの人の結婚のお世話をなさってますよね?」と言ったのです