◆20ドルや20ユーロは一般的なのに…
2000円札は西暦2000年と同年開催の九州・沖縄サミット(首脳会議)を記念して、1999年に当時の小渕恵三首相が発案。表面には人物の肖像画ではなく、沖縄県を象徴する首里城の守礼門が印刷された。裏面は源氏物語絵巻の一場面と紫式部。サミットでは、森喜朗首相が記念品として各国首脳に配った。
1882(明治15)年に発足した日本銀行が「1」と「5」のつく単位以外の紙幣を発行したのは3種類目で、1945(昭和20)年発行の200円札以来。外国では、米国の「20ドル」や英国の「20ポンド」、欧州連合(EU)の「20ユーロ」など「2」のつく単位の通貨は一般的なため、普及すると期待された。
◆統計上は旧500円札をも下回る
2000年7月の発行当初は物珍しさもあって流通したが、記念紙幣と思う人も多く、すぐに失速した。
日銀の統計によると、社会に出回っている2000円札は2004年8月末の5億枚強をピークに急減。2014年からは1億枚を切り続け、直近の2024年5月末時点で9700万枚にとどまる。1万円札の112億枚、1000円札の43億枚、5000円札の7億枚には遠く及ばない。
この統計は、日銀が発行した枚数から戻ってきた枚数を差し引き、「社会に出回っている」とみなす推計値。このため、破損して戻ってこないなど「行方不明」になった分も含まれるが、統計上は1994年に発行を終えた旧500円札も2億枚弱が社会に残っており、2000円札はその半分程度だ。
2000円札はなぜ普及しなかったのか。
財務省理財局は2022年3月の衆院財務金融委員会で、ATMでの出金に対応していないことや、飲料などの自動販売機で入金できないことなどを挙げた。紙幣刷新の対象外にはなったものの、「日銀と協力しながら、できるだけ使っていただけるように努めていきたい」と述べた。
◆ATMに「二千円札優先」ボタン
すっかり影の薄くなった2000円札だが、日銀那覇支店によると、実は沖縄県では存在感を増し続けている。沖縄県内で出回っている枚数は、2001年には200万枚弱だったが、2024年には800万枚を超えた。背景には、官民を挙げた利用促進策がある。
那覇市議会は2006年に、2000円札の利用促進に向けた宣言を決議。守礼門の歴史を紹介し、「沖縄県と那覇市の歴史および文化等の発信、観光振興など多方面にわたって大いに寄与することが期待されている」と強調した。
琉球銀行のATMには、払い出しの際に2000円札を優先的に選べる「二千円札優先」のボタンが設けられている。
琉球銀行が作成した首里城の再建に向けた寄付金キャンペーンのポスター。ATMでの「二千円札優先」ボタンの使い方も説明している
2020年には、沖縄県銀行協会が、前年に焼失した首里城再建の支援金として、県内で流通した2000円札1枚につき0.1%(2円)を沖縄県に寄付するキャンペーンを開始。2022年2月の終了までに計316万円の寄付実績がある。
◆沖縄土産に人気、「初めて見た」という人も
恩納村のかき氷店「琉冰(りゅうぴん)」では、観光客からお土産代わりにほしいという要望を受けることも多く、レジに欠かさないようにしている。発行当時を知らない大学生など若い世代からは「初めて見た」と驚かれることもあるという。
スタッフの山入端(やまのは)玲奈さん(32)は、全国的な流通が低調で紙幣刷新の対象にならなかったことについては「ちょっと寂しい」と吐露しつつ、「首里城が印刷された紙幣が残ったという意味では良かったのかもしれない」と話した。