【多い?】平松愛理さんの「例の曲」にいろいろと加える人が出ることに

【多い?】平松愛理さんの「例の曲」にいろいろと加える人が出ることに

【多い?】平松愛理さんの「例の曲」にいろいろと加える人が出ることに

平松 愛理(ひらまつ えり、1964年〈昭和39年〉3月8日 – )は日本の女性歌手、シンガーソングライター、作詞家・作曲家。 本名:平松 絵里(読み方同じ)。ソロ歌手として活動する一方、他の歌手に楽曲提供も行っている。兵庫県神戸市須磨区出身。 所属事務所はひらまつ堂。…
38キロバイト (3,726 語) – 2024年5月16日 (木) 01:45

(出典 image.shinmai.co.jp)
こういうタイトルのもの多いですね~

1 湛然 ★ :2024/05/12(日) 15:52:46.10 ID:fbHRIo/q9.net

5/3 SmartFLASH
https://news.yahoo.co.jp/articles/40c4eb97995e5c311e4522d94792b17aa2382a9e
「夫婦の30年後を描いた続編は人間愛まで描ききった“究極のラブソング”にできたと思います」

 デビューして35年、シンガーソングライターの平松愛理が、シングル『部屋とYシャツと私』をリリースしたのは1992年、28歳のとき。ウェディング・ソングの定番として歌い継がれている名曲の誕生秘話を語る60分インタビュー。

「曲をリリースする2年前に、親友が結婚することになって、『一曲歌って』とリクエストされたので、『だったら作るよ』と言ってしまったんです(笑)。担当ディレクターからは、ずっと『女性版の“関白宣言”を書いてよ』と、言われていたんですね。(※中略)

――曲を作るために、リサーチを始めたそうですね。歌詞の1番が両親、2番がディレクターのエピソードなのだとか?

「母に『結婚したときに、何か困ったことはなかった?』って訊いたら、『まだ新婚だったころに、父が泥酔して結婚したことを忘れてしまい、新居ではなく実家に帰っちゃったっていう事件があって。それがめちゃくちゃ悲しかった』という話を聞いて、おもしろいなと思ったんです。そこから、お酒好きの旦那さんが、今日もまた遅くなっちゃった、妻が怒っていて家帰るの怖いなっていうときに、《恐れて実家に帰らないで》というストーリーにしました。

 2番は、ディレクターが『嘘つくと瞬きが多くなるんだよね』と言ってたんですね。歌詞に『瞬き』という言葉を入れると聞き取りにくかったので、顔のパーツのどこにしよう?と考えて、《あなたは嘘つくとき 右の眉が上がる》にしました。毎日、作っては直しを繰り返して、完成するまで2カ月ほどかかりました。(※中略)

――結婚式で曲を披露したとき、男女で反応がまったく違ったそうですね

「そうなんです。《毒入りスープで一緒にいこう》のくだりで、新婦側は笑いとして“どん”とウケたんですけど、新郎側は、グッと引きました。歌っている私はびっくりして、演奏を間違えそうになりました。(※中略)

――3枚目のアルバム『MY DEAR』(1990年12月15日発売。1992年にシングルカット)にこの曲を収録するかどうかで、意見が別れたそうですね

「スタッフの8割が、『平松らしくない』という理由でレコーディングに反対してたんですね。1枚め、2枚めのアルバムと比較すると、たしかに『部屋とYシャツと私』は言葉が強いかなと、私も思いました。タイトルも変わっているし。でも、2割の人が『平松らしい』と言ってくれて、ディレクターも賛成してくれたので、レコーディングできました」

――この曲のタイトルはどうやって決まったのでしょうか?

「“結婚する時に変わるもの”を意識しました。結婚前の女性は、実家にいる人も多いのでしょうが、お父さんや男兄弟のYシャツを洗うことは少ないですよね。それが、結婚したら旦那さんのYシャツを洗うようになるっていう。部屋が引っ越しで変わり、洗濯ものが変わり、そして、自分の苗字が変わるというタイトルです」

――曲が完成したときのヒットする感覚はありましたか? 「これは代表曲になる」というような……。

「ないです。全然、ヒットするとは思ってませんでした。スタッフに反対されながらも、なんとかアルバムに収録することになったので、レコーディング後はもう二度と歌うことはないんだろうなと思っていました」

――デビュー30周年のタイミングの2019年に、続編『部屋とYシャツと私~あれから~』をリリースします。

「テーマにしたのは、“30年経って変わるもの、変わらないもの”です。変わっていくものは、考え方、習慣、電化製品とか。変わらないものは人の癖ですよね。だから、30年経っても、《嘘つくとき 右の眉が上がる》人は、一生上がる。このバランスを取るのがものすごく難しかった。新曲を書いたほうが楽だったかなと、途中で思ったりしました」

――歌詞を作る上でいちばん苦労したところは?

「《あなた浮気したら 私は子供を守るから》《特製スープでひとりで逝って》ですね。30年前は《一緒にいこう》だったのに、我ながらここまで言っちゃっていいのかなと(笑)。それから、《食べたらきちんと洗って お皿と私の機嫌をなおして》。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

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