そこで、これがどんな事件だったか、顛末を振り返り、その過程で見せた蓮舫氏の場当たり的な説明のひどさや、残ったままの疑惑を提起したい。
選挙公報に「1985年、台湾籍から帰化」
蓮舫氏は、台湾人(中華民国籍)の父親と日本人の母親の長女として生まれた。祖母の陳杏村は戦前上海で暗躍した政商で、戦後は蓮舫の父である謝哲信とともに、台湾バナナ輸入の利権を握って日本政界で暗躍し、国会でも公明党の黒柳明参議院議員から追及されたことがある。
蓮舫氏は二人の兄との三人きょうだいで、小学校から大学まで青山学院で、高校生時代からタレント活動をして男性週刊誌のグラビアなどで人気を博し、テレビ・キャスターとなった。
ジャーナリストの村田信之氏と結婚後は夫婦で北京に留学し、それ以降、中国政府の外交にも理解を示すようになる。
タレント時代には、中国籍だとか二重国籍だとか自称していたが、2004年に参議院選挙東京都選挙区から出馬し当選したときには、選挙公報に「1985年、台湾籍から帰化」としていた。
誕生時の戸籍法では父親の国籍にされたから、台湾(中華民国)籍の謝蓮舫だった。ところが、17歳のとき国籍法の改正で、22歳までに両親どちらかの国籍を選択する条件のもとで、母親の日本国籍を取得できるようになり、それを行使して合法的な二重国籍になった。「帰化」と選挙公報に書いたが、法律用語としては間違いで、「国籍取得」だった。
タレント時代の二重国籍発言について弁解
私が蓮舫氏をネット・メディア「アゴラ」で追及し始めたのは、2016年の東京都知事選挙で蓮舫氏の名前が噂されたときで、「帰化した人が政治家になるのは構わないが、帰化した国の文化への愛着を示すとか、母国との関係で日本の国益を強く支持することが求められるのが世界の常識であるが、蓮舫氏はどちらも失格だ」と書いた。
そのあと、蓮舫氏が首相候補となる民進党代表選に立候補したので、蓮舫氏は日本国籍を選択した経緯と台湾籍離脱について、日付も含めて説明すべきだと指摘した。ところが、事実関係を明らかにしなかったので、22歳までに国籍を選択する義務(「国籍選択宣言」という手続きをするか、「国籍離脱証明書」を提出する)を果たさず、法に反する形でそれなりの期間、あるいは、現在に至るまで二重国籍の可能性があると指摘した(8月29日)。
そうしたところ、蓮舫氏からは「父親が台湾籍離脱手続きをしてくれたはず」、「(本人の名も載ったはずの)父親の台湾の戸籍は見たことない」、「私は18歳(実際は17歳)で日本国籍を選んだ」「台湾籍をいつ抜いたかは台湾当局に問い合わせ中」などと言った。タレント時代の二重国籍発言については、深く考えずにしたとか、記事の原稿を確認しなかったとか弁解した。
台湾に残っていた国籍
この段階では、「日本国籍の選択」はして、日本の戸籍法上の手続きは完了し、台湾の国籍を離脱するべきなのをサボっていただけだと、私も含めて思った。離脱手続きを絶対的な義務にしていないのは、国によっては国籍離脱を許さなかったり、多大な時間や費用が生じたりするケースがあるからだ。しかし、台湾では国籍離脱は簡単なのですぐするべきなのである。
ところが、台湾籍を離脱したら台湾の官報に記載されるはずだが、「謝蓮舫」さんの国籍離脱の公示はされていないことをその夜のうちにネット民が突き止めた。
そこで、蓮舫氏は「台湾籍を抜いたかどうかは確認中だが抜いてない可能性があるのであらためて離脱申請をした」と言った(9月6日)。
結論を引き延ばしていたのは、民進党党首選の党員・サポーター投票が続いていたからなのだが、締め切りになった翌日になって、台湾当局から国籍が残っているという連絡を受けたので離脱手続きを進めたいと公表した(9月13日)。
こうなると、誰も蓮舫氏の説明を信用しなくなって、そもそも蓮舫氏が国籍選択手続きをしてなかったのでないかという疑問もでてきたので、アゴラ編集部から国籍選択をしたことを証明する書類、台湾旅券、台湾からの国籍離脱証明書を公開するようにという公開質問状を出した(9月29日)。