「西朝鮮」そんな国あったっけ…?中国のインテリたちは自国に呆れ果てていた…!

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「西朝鮮」そんな国あったっけ…?中国のインテリたちは自国に呆れ果てていた…!

1: 昆虫図鑑 ★ 2024/05/12(日) 17:03:50.37 ID:HW0krhU8
 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。

西朝鮮(シーチャオシエン)

 隣国である朝鮮民主主義人民共和国のことを、日本人は「北朝鮮」と呼んでいる。その北朝鮮は、大韓民国(韓国)のことを、「南朝鮮」と呼ぶ。

 そこまでは常識だが、はて「西朝鮮」なんて国、あったっけ? 
 私がこの新語に初めて接したのは、2016年6月4日だった。

 北京に住む友人で、1989年の天安門事件で派手に活動した男がいる。その後、新聞記者になって、日本で言うなら第一線の社会部記者として、江沢民時代と胡錦濤時代には、話題を呼んだ告発ルポをいくつも書いた。

 彼は酔うと、いつも天安門事件の話を始める。それで、他の中国人の知人のように春節(旧正月)に微信の挨拶を送るのでなく、天安門事件の日(6月4日)に送っていた。

 2016年のこの日、彼から来た返信に、こんな一文があった。

 〈五月三十五日的西朝鮮、大大很厳〉

 恥ずかしながら私には、意味不明だった。直訳すると、「5月35日の西朝鮮は、大大がとても厳しい」。

(略)

 「あっ!」思わず声が出た。「6月4日」=「5月35日」ではないか。

 最後は「西朝鮮」。北朝鮮の地図を、脳裏で思い描いてみる。北朝鮮の西側に位置するのは……「中国だ!」

 〈6月4日の中国は、習近平主席がとても厳しい〉

 彼はこう伝えたかったのである。だが直接こんなことを書けば、前項で述べたように「秒删(ミアオシャン)」(1秒で削除)されるだけでなく、公安(警察)がコンコンとドアをノックしてくるかもしれない。そうしたことを本能的に警戒して、隠語に隠語を重ねたのである。

 実際、彼はこの時のメッセージで、「記者を辞めた」とも書いていた。「自分はこれ以上、『党色』には染まれない」

 同年2月19日、習近平主席は、「3大メディア」と呼ばれる人民日報社、新華社、CCTV(中国中央電視台)を訪問した。そしてCCTVの大会議室に、中国マスコミ業界の幹部たちを勢揃いさせて、重要講話を述べた。

 「メディアの活動は、すなわち(中国共産)党の活動なのだ。すべてのメディアは党と政府の宣伝の陣地であり、党の姓を名乗ることが必須だ!」

 この講話は、「ニュースメディアの党姓の原則」(新聞媒体的党姓原則)、略して「党姓論」として、瞬く間にマスコミ業界に浸透していった。かつて毛沢東主席は「新聞を党の重要な武器とみなせ」と語ったが、毛主席を崇拝する習主席は、この考えを踏襲したのだ。

 実際、年に一度の全国人民代表大会(国会)の開幕日にあたる同年3月5日には、習総書記が「党中央厳令」を出した。「今後はメディアが、反党・反毛沢東の言論を出すことは許さない」という指令である。

 鄧小平時代に入った1981年6月に開かれた「6中全会」(中国共産党第11期中央委員会第6回全体会議)で、毛沢東主席が主導した文化大革命は誤りだったと総括した。個人崇拝も悪として、党規約(党章程)で禁止を定めた。そうした決定を35年ぶりに覆したのである。

 一事が万事で、「毛沢東主席はすべて正しい」→「習近平主席は毛主席の後継者である」→「習近平主席はすべて正しい」という論法である。これは北朝鮮の「金日成主席はすべて正しい」→「金正恩総書記は金日成主席の後継者(直系の孫)である」→「金正恩総書記はすべて正しい」という論法と同じだ。

 実際、中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』は、朝鮮労働党中央委員会機関紙『労働新聞』と記事の内容が変わらなくなり、CCTVはKCTV(朝鮮中央テレビ)とニュース番組の内容が変わらなくなった。要は、最高指導者の礼賛一色である。

 そしてあらゆる中国メディアが、この方針に追随しなければならなくなった。新興のネットメディアも同様で、スマホをクリックして表紙画面を開けると、その日や前日の習近平主席の活動や重要講話で溢れるようになった。

 前述のように、全国9671万人の共産党員は、習総書記の重要講話を手書きで書き取り、その講話で自分が何を学習したかも付記しなければならない。そうしたことから、中国のインテリたちが、自国を自虐的に「西朝鮮」と呼ぶようになったのだ。

続きはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bd6d1d15c993ffee4a42c2cd5e610c527cc31a6


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