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【五輪】開会式 ゲーム音楽を都合よく政治利用する大人たちへの怒りと、認められたと大喜びするゲーマーへの絶望

(中略)
ここ数日で起きた大量の首の挿げ替えには様々な言い方がある。「キャンセルカルチャー」との批判もあったが、
そもそもオリンピック自体が「オリンピック憲章」という理念に基づいて運営されている(はず)のイベントであるので、その批判は当たらない。
ポリティカル・コレクトネスがお嫌いなら、まずはオリンピック憲章を批判し、そして、そんなイベントを誘致した連中を批判してみてはいかがだろう。
(中略)開会式では他の様々な楽曲も用いられたということだ。「ファイナルファンタジー」や「サガ」シリーズは、
“かみ”を殺したり、環境テロリストが主人公だったり、
その世界の仕組みそのものを恨むような反権威的なシリーズのはずだ(もちろん解釈は人それぞれあってよいが、少なくとも僕はそう思う)。
件の「ドラゴンクエスト」シリーズ然り、その他の作品にも、単に勧善懲悪の(悪は滅ぼすべき存在であり、
みんなで団結し消滅させれば小さな問題は考える必要もない)短絡的なメッセージをもつ作品は少ないのではないだろうか。
そういうものが、本来そのゲームがもつ文脈とはかけ離れ、こんな時だけ(香川県の例を思い出してほしい)国や自治体に都合よく切り出されて使われるのは
、ビデオゲームファンとして全く許しがたいことだった。
僕がなにより絶望したのが、同業のゲームライターたちをはじめとして、ゲームファン、クリエイター、インフルエンサー、場合によっては作曲家当人もが、
この件に感動しここまで指摘してきた諸問題を見なかったかのように「ゲームが認められた」というような論旨の発言を恥ずかしげもなく振りまきだしたことだ。
国威発揚に都合よく利用されることは認められていることとは全く違う。
同性婚の認められていない国で虹色のドレスが登場するのと同じで、つまりは「利用価値があるうちは、使ってやる」と言われているだけだ。
表現は不当に規制され、バッシングの矢面に立たされてきたビデオゲーム文化を、こんな時だけ都合よく使われるのは(繰り返しになるが)本当に許しがたいことだ。
ゲームというものは一人で作るものではないし、「ドラゴンクエスト」シリーズも、最新作では同性婚を実装するなど、一人の思想だけが反映されるわけではなく、進歩の兆しをみせてきたはずだ。
そうした政治的に一枚岩でない集団の成果物としてのビデオゲームのイメージをここまで「政治的」なメッセージを持つイベントに借用すること自体に問題があるということも指摘しておきたい。
■「ゲーム音楽」の演出”だけ”はよかったという素朴さだけでは語れない
(中略)
「ゲームファンだからゲームの音楽が流れると純粋に嬉しい」という素朴さだけでは全く語れない様々な機微がそこにはある。
ゲームファンの中にだって直接的であれ間接的であれコロナによって亡くなった人もいるはずだ。それだけではない。家族でコロナを失くした人もいれば、
時短営業により経営難に陥ってしまった店の店主やその家族もいるきっといるだろう。
彼らの血や涙の上に新国立競技場は屹立していて、その上で「国家が承認する最良の娯楽」たるスポーツ大会が行われる、という構図になっている。
(中略)
老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、
ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ。
かなり端折っているので全文はこちらで
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
お前は何様なんだよ?
へんなやつ沸いてるな
>>1の記事は何言いたいのか分かんねえわ
ゲームを個人的政治感の主張に利用するな
オリンピックを平和の祭典としてる時点で終わってるんだか
いつも絶望してんな
ソース見てもこの記事を誰が書いたのか分からんかったんだが
こいつこそがゲームと政治を結びつけたくて必死に見えるんだけど
君が代を廃止してゲーム音楽国歌にしないとな
引用元:【五輪】開会式 ゲーム音楽を都合よく政治利用する大人たちへの怒りと、認められたと大喜びするゲーマーへの絶望 [ramune★]
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