@Hatoyama_Kii
【長文失礼します】「高校までの教育課程で三角関数や古文や漢文などはムダだ」という主張が話題になっています。この主張について、「自分の人生で役に立たなかっただけでムダと断じるのはダメだ」という批判が多く見られますが、私はこのテーマについてはもう少し深い考察が必要ではないかと思っています。
なぜなら、「子どもには様々な可能性があるから色々なことを教えるべき」は基本的に正論である一方で、今の日本には「社会に出てからほぼ使わないことを勉強する時間があったなら、社会を生き抜くために必要なことをもっときちんと勉強したかった」と思っている人も非常に多いだろうという現実があるからです。
大まかな整理として、学生には、
1.超エリート学生(たとえば能力や意欲が上位0.1%)
2.エリート学生(たとえば能力や意欲が上位1%)
3.準エリート学生(たとえば能力や意欲が上位10%)
4.一般的な学生(特別な支援が必要な学生も含めて)
の4種類がいるとします。
まず、1.2.3.の学生は、勉強の深さにはかなり大きな違いはあるとしても、「将来の可能性を拡げること」や「潜在的リーダーとして一定の教養を身につけること」などを目的として、たとえば三角関数も勉強した方がいいのは間違いないはずです。
一方で、今の日本では大学進学率が約60%に達している中で、4.の学生のほとんども三角関数を勉強しているはずですが、それが必要かと言えば、かなり疑わしいと言わざるを得ないと思います。なぜなら、一般的な人生や職業では三角関数を使うことはゼロであるだけでなく、一般的に「三角関数を使うこともあるだろう」と想像されている職業でも、実際に三角関数を使うことはほぼゼロだからです。
ここで本質的な問題は、今の日本の教育システムでは、4.の学生に対してはもちろん、1.2.3.の学生に対してですら、「社会を生き抜くために必要な知識や思考力を身につけさせるための教育」が不足してしまっているということです。たとえば日本のメディアの質が低いことも、そのメディアが流している情報を受けて思考を掘り下げられない国民が少なくないことも、突きつめればこれが原因ではないでしょうか。
そうだとすれば、多くの国民が「社会に出てからほぼ使わないことを勉強する時間があったなら、社会を生き抜くために必要なことをもっときちんと勉強したかった」と思うのも無理はありません。
また、1.2.3.の学生を中心としたいわゆる「受験戦争」も問題です。
たとえば三角関数を勉強することが重要だとしても、率直に申し上げて、東大入試レベルの三角関数の問題を解けることが必要かと言えば、私はそうは思いません。
私が研究者時代に交流があったアメリカ人の友人は「日本の受験システムは異常だ。イーロン・マスクもビル・ゲイツもジェフ・ベゾスも、学生時代には東大入試の問題は解けなかっただろうし、今でも日本のトップクラスの中学入試の問題すら解けないのではないか。それでも彼らは世界中の人々に大きな影響を与えるようなイノベーションを生み、巨大企業を率いている。日本は子どもたちに寝不足になるほどの勉強を強いているのに、経済がほとんど成長していないという事実を深刻に考えるべきだ」と言っていました。私も彼と同じ考えです。
結論として、日本の教育システムを全否定すべきではありませんが、だからと言って、「基本的に今までの教育システムは間違っていない」という思考停止も建設的ではないと思います。
私は政治家として、単純に「教育を無償化すべきだ!」と主張するだけなのは無責任だと考えており、上記のような問題を解決するためには、たとえ時間がかかるとしても、大胆な教育政策の転換が必要だと思っています。