あわせて読みたい
髙田延彦が米国でヒクソン・グレイシーと再会「柔術の指導を仰ぐ」
ゴング格闘技
米国LAでヒクソンと再会した高田、道場には静かな時間が流れた
2024年1月28日、髙田延彦が米国カリフォルニア州ロサンゼルスで、ヒクソン・グレイシーと柔術家として、再会した。
【写真】あのときと同じ、高田のガードポジションから指導は始まった
インスタグラムに「LAを訪れ Mr.ヒクソン・グレイシーの指導を仰ぐ」と記したように、髙田は、ロサンゼルスのヒクソンのスタジオを訪問。柔術衣をまとい、ヒクソンの指導を受けた。
1980年、17歳で新日本プロレスに入門した髙田は、「平成の格闘王」と呼ばれ、1997年10月11日の『PRIDE.1』と、1998年10月11日『PRIDE.4』で2度、ヒクソンと対戦している。
1R 4分47秒 腕ひしぎ十字固め
1R 9分30秒 腕ひしぎ十字固め
いずれも初回にヒクソンにポジションを奪われ、腕十字にタップした。
1度目はヒクソンのダブルレッグに髙田がヒザ蹴りを合わせようとしたところをテイクダウンされ、そのままサイドからマウントで腕十字。
2度目は、四つ組みから髙田が先にテイクダウンでトップを奪うが、下のヒクソンが腰に置いた足を髙田がストレートフットロックへ。その両足を草刈りで倒したヒクソンはサイドからマウントに移行するが、その際で髙田はブリッジでヒクソンを前方に送り出し、フルガードに戻しかけている。
しかし、すぐに片足をまたいだヒクソンはハーフから脇差しパスでマウントに。パウンドをもらいながら髙田は下からブリッジで浮かせて外掛け・外ヒールフックを狙うが、ヒクソンはサドルロックを組ませず、すぐに踵を抜くとサイド、マウントから流れるように腕十字を極めた。
初回の対戦を髙田は、自身のYouTubeで、「正対したときに恐怖を感じました。ヒクソンが黒豹に見えた。どうして俺、こんな獰猛でクレバーな黒豹と戦わなくちゃいけないんだって。どこか冷めた目で自分を見ていました」「俺は戦犯的な負け方をしたんじゃないかって」と振り返る。
そして再戦。
「9分過ぎていてあと1分で次のラウンドなのに、あそこで足を取りに行っちゃダメなんですよ。ヒクソンに餌まかれて、飛びついちゃった。バカでしょ、俺」と、前戦よりもずっと健闘した2戦目を自嘲気味に語る。
「でもね」と続ける髙田は、「柔術を始めて感じるのは、やっぱりヒクソンはとんでもない強者だったんだなって」と、ヴァーリ・トゥードにおけるヒクソンの柔術の強さを再確認していた。
ヒクソン戦から20年が経ったとき、髙田はさまざまな折り合いをつけて、柔術を本格的に習い始めた。
次ページは:◆『PRIDE』が無ければ、『DREAM』も『RIZIN』もいまの形では存在していなかった
https://news.yahoo.co.jp/articles/627b9dd3a0834b4488b36adfd8265765a68d6647?page=1
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240129-00010004-gkakutogi-001-1-view.jpg?pri=l