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【青木理】韓国へのヘイトのフタを開けたのは、あの歴史的瞬間だった
話は変わりますが、あらためてその原点が何かと振り返ってみると、大きな分岐点は日朝首脳会談だったと僕は思うんです。
安田 2002年の?
青木 そうです。拉致問題が最大の焦点となり、日本政府が認定する拉致被害者のうち4人が生存、8人が死亡したと北朝鮮側が通告した会談。
安田 小泉訪朝のときですね。
青木 ええ、小泉純一郎と金正日による史上初の日朝首脳会談です。
僕は当時、ソウルで取材していて、ある先輩特派員がこんなふうに評したのを覚えています。「朝鮮半島との関係で日本が戦後初めて“被害者”の立場になったな」と。そのときはあまりピンとこなかったけれど、いま考えるとかなり核心を突いた分析でした。
どういうことかというと、戦後の日本は朝鮮半島との関係において常に加害者としての反省や謝罪を求められてきたわけです。戦前・戦中に日本が朝鮮半島を併合して言葉を奪い、名前を奪い、人びとにとてつもない被害を与えた歴史を踏まえれば至極当然だと僕は思うけれど、日本人拉致という北朝鮮の国家的犯罪により、いわば日本は戦後初めて朝鮮半島との関係で被害者の立場になった。
その戦後日本の現実がどうだったかといえば、大枠では加害者として周辺国に反省や謝罪の意を示しつつ、社会の根底には朝鮮半島や在日コリアンへの差別や偏見もくすぶらせてきました。おおっぴらに差別的な言説を吐くのは愚かな少数者であっても、日本社会の中には差別や偏見が常に沈澱していて、就職や結婚といった際を含め、なにかことがあればそれは噴き出してもきた。
また敗戦から半世紀以上の時が過ぎ、あの戦争や半島統治の実態を知る世代が政治や社会の主流から消えていったのも2000年前後のことですね。それに伴って「日本はいつまで反省や謝罪を続けなければいけないのか」といった言説が勢いを増し、右派を中心に歴史修正主義的な言説も盛んに喧伝されてきました。
さらにつけ加えるなら、バブル崩壊以後の日本経済は長期の低迷に喘ぎ、少子高齢化や人口減少などに歯止めがかからず、社会保障制度や財政再建の将来像が描けていない。一方、韓国はもちろんのこと中国が飛躍的な経済発展を成し遂げ、GDP規模で中国はすでに日本を上回りました。
それまでの日本は長きにわたって世界2位の経済大国であって、アジアではナンバーワンだと胸を張って余裕もあったけれど、もはやそんな余裕もなくなっている。国内の政治や経済情勢も一向に好転せず、新自由主義的な政策の影響で格差も広がり、人びとに不安感や焦燥感が強まるのはある意味で当然かもしれない。
ちょうどそんな時代の端境期に行われたのが日朝首脳会談でした。日朝首脳が国交正常化に向けた努力で一致し、一部とはいえ拉致被害者が帰還を果たした会談は歴史的成果だったと僕は思いますが、同時に戦後日本が朝鮮半島との関係において初めて被害者になったことで、くすぶっていた偏見や差別心が公然と噴き出し、余裕を失った不安感や焦燥感が排他や不寛容という攻撃性に変わって燃え広がってしまったのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、北朝鮮による日本人拉致は許されざる国家的犯罪ですし、北朝鮮が異形の独裁国家であるのも事実です。しかし、だからこそ北朝鮮に対してはどんな罵詈雑言を投げつけても、冷笑して見下すような態度をとっても構わないといった風潮がメディアを中心に拡散し、それに少しでも異を唱える者には猛烈なバッシングが浴びせられることになったのではないか。
僕は当時、何度か北朝鮮に入って取材しましたが、現地で北朝鮮当局者や拉致被害者の家族などをインタビューしただけで猛烈な攻撃を受けてしまうほどでした。「北朝鮮の思惑に乗せられている」「北朝鮮の言い分を垂れ流している」などと言われて。
つまり、北朝鮮による日本人拉致問題と日朝首脳会談を大きな分水嶺とし、戦後日本の政治や社会状況が大きな変貌を遂げたのではないかと僕は考えています。強烈なバックラッシュ(反動)というか、戦後日本が一応は建前として掲げてきた歴史観への逆流現象というか、朝鮮半島への偏見や差別心などがむき出しになり、歯止めがかからないほどに広がってしまった。
(略)
ヤフーニュース(現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd370bcdedddc06504bfade3530e832ef72dd4de?page=1