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【FLASH】 「元寇の勝因は神風ではなかった」「江戸時代の外交は出島だけではなかった」大人が知らない日本史の新常識
専門家に、「教科書から消えた」日本史の常識を解説してもらった。
<鎌倉>鎌倉幕府の誕生は「1192年」ではない。最有力は「1185年」
鎌倉幕府の成立が「イイクニ」のゴロでお馴染みの、1192年ではなくなった。
「何を基準に武家政権が成立したと考えるか、という研究者の解釈の違いが理由です。
幕府の成立については1180年から1192年まで、現状、7つほどの説があります。
いまは教科書に『はっきりこの年』とは記載していませんが、朝廷が源頼朝に守護・地頭職の設置を許可した
1185年が最有力とされています。
1192年は頼朝が征夷大将軍に任ぜられましたが、これが幕府成立の決定打になるのか、研究者の間でも解釈が揺れています」
(放送大学講師で、考古学者の山岸良二氏)
<鎌倉>『徒然草』の作者は「吉田兼好」ではなく「兼好法師」
日本中世史を専門とする歴史学者・濱田浩一郎氏は、こう解説する。
「鎌倉時代末期の随筆集『徒然草』の作者は、鎌倉時代後期、南北朝時代の歌人です。
かねて教科書に載っていた『吉田兼好』という作者名ですが、彼自身がこう名乗ったことはありません。
彼の子孫がのちに『吉田』を名乗ったため、この名前が定着してしまいました。彼自身は卜部(うらべ)氏の息子。
また、出家した後は『兼好』を法名としました。
そのため現在は、『兼好法師』と記載されることが多く、『卜部兼好』と表記されることもあります」
<鎌倉>元寇の勝因は“神風”――台風ではなかった。勝因は元軍の「不協和音」と「幕府の武力」
元軍による2回の襲来を退けたのは“神風”だった――そんな通説が変化していると解説するのは、
南北朝時代と室町時代の研究者で、国立台湾大学助理教授の亀田俊和氏。
「1回めは11月で、台風=神風は季節的に吹かなかったという説もあります。
2回めの襲来時の勝因は、防壁を造って、元軍の上陸を防いだ鎌倉幕府の軍事力だとされています。
また、元軍の主力は征服されたばかりの高麗人や南宋人で、敵方の戦意は低かったといわれています」
<室町>足利尊氏の肖像画「騎馬武者像」は偽物だった
かつては「足利尊氏」の肖像として教科書に載っていた「騎馬武者像」。
しかし、現在では「南北朝の争乱のころの武士の像」などと表記されている。
「戦前から、この『騎馬武者像』には疑問が持たれていました。
尊氏の愛馬は絵のような黒毛ではなく、尊氏ほどの武将がこのような乱れた姿を描かせるとも思えません。
さらに肖像の上に、尊氏の息子・足利義詮(よしあきら)のサインがあります。
通常、格下の者のサインが肖像の上にあることはあり得ません。
こうした理由から、『騎馬武者像』が尊氏の肖像ではないことは解明されています。
馬具などに描かれた家紋は、足利家に仕えた高氏(こうし)のものであり、
現在は、尊氏の側近、高師直(こうのもろなお)か、その息子・師詮(もろあきら)という2説が有力になっています」
(濱田氏)
ー後略ー
全文はソースから
2/17(土) 6:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcd1c76ba3b5df8c59bf337ff120e26e9548c988