その一因は、前史となる韓国漫画の歴史を知らず、中途半端に日本と韓国のコミック産業の姿を同一視し、
あるいは逆に過大に違いを見いだしていることにもある。
韓国と日本ではそもそも漫画産業の前提となる出版流通、商慣習が異なり、だからこそそこから生まれる作品の傾向も異なる。
たとえば戦後日本において、マンガは長らく雑誌を中心に展開し、雑誌を基盤にコミックス単行本を生産するモデルを確立した。
それに対して韓国では、もちろん雑誌連載や単行本の発行もありつつ、同時に貸本向け単行本と新聞連載漫画も
1980年代末まで漫画産業の中核に位置していた。
なぜそうした違いが生まれたのか、その流通形態やビジネスモデルの違いは、韓国と日本のコミックにどんな違いをもたらしたのか。
本稿では韓国で貸本漫画流通が確立されていく過程を追っていく。
それによって日本人にとってはあまりに当たり前すぎて普段は意識されない「日本マンガの特徴」「日本の出版流通の特徴」も
クリアになるだろう。たんに「異国の過去の話」ではない、現在のコンテンツ産業にとっても示唆深いものになるはずだ。
・日本における「マンガ専門誌連載+コミックス」モデルの成立過程
ー中略ー
・1950年代には充実していた漫画雑誌と書店流通の単行本
韓国ではどうだったか。
韓国の漫画評論家である孫相翼(ソン・サンイク)の『韓国漫画通史』によれば、1945年の解放後まもない時期から16~48ページ前後の
子ども向け漫画単行本が人気を博している。
たとえば原作・馬海松、絵・金龍煥『うさぎと猿』(1946年)、金龍煥『洪吉童(ホン・ギルドン)の冒険』などだ。
ただし『うさぎと猿』は「最初の漫画単行本」とされてきたが、『韓国漫画通史』発表後に発見された実物を見ると、
コマ割りのある「漫画」というより、挿絵に文章を付けた「絵物語」的であり、議論の余地がある。
また、『洪吉童(ホン・ギルドン)の冒険』は発行日について1945年下半期から1946年初まで複数の説があり、
こちらが「最初の漫画単行本」の可能性もある。
解放直後の時期の出版物は現在では入手困難であるばかりでなく、
当時の出版事情がわかる統計や記録もまともなものが残っていない。
特に1945年8月から1946年の元旦の頃までは信頼できるデータに乏しい(解放以前に関しても、
1940年代に入って朝鮮総督府が機能しなくなっていった時期に関しては同様に厳しい)。
1947年に米軍が発表した「韓国の分野別、図書発行種類」では単行本漫画は全80種類発行され、学参151種類、教科書150種、
小説および戯曲128種、政治102種に次ぐベスト5の出版物だったとされているが、これも参考程度に受け取った方がいいかもしれない。
ともあれ、1946年から「週刊小学生」など青少年雑誌が発行され、1948年には成人向けのタブロイド版漫画新聞「漫画行進」
が創刊されている(孫相翼「現代韓国漫画の理解」「月刊韓国文化」韓国文化院、2001年7月号)。
なお、この頃の雑誌はほとんど書店を経由せず街頭で販売されたという。
李斗暎(イ・ドゥヨン)『韓国出版発展史1945~2010』によれば、1949年時点で韓国の出版社数は847、累積出版数は4989点、
雑誌は128種類で、全国に525書店あり、国民の識字率は21%。