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「テレビが偉い」と未だ思っている…原作軽視はもはや慣習の実態! 漫画家・芦原妃名子さんの死を経て問われる映像化の価値
転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1706873642/
ライターのトイアンナ氏は、これまでの“テレビ局の悪しき慣習”が最悪の結果を招いた、と嘆息する。
【中略】
●テレビ局が抱える“原作軽視”の慣習
本件は『セクシー田中さん』のドラマや、脚本家、あるいは原作者の問題というよりも、慣習として「原作者の意向は無視してもいい」とされがちな、業界の課題を浮き彫りにしている。
脚本家は、この件についてこうコメントした。
「(原作者がテレビの脚本家を降板させて自ら台本を執筆するのは)個人的にはあり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです」
そう、テレビなら通常はありえない。なぜなら、脚本家もまた、ディレクター、監督、局、スポンサーに翻弄されるパーツのひとつだからだ。そして、パーツと原作者……つまりアーティストとは、根本的に性質が異なる。脚本家は会社員的にスポンサーのことを聞かねばならないが、漫画家をはじめとするアーティストはそうではない。単行本が売れなければ飢えて死ぬかもしれないが、会社員的な制約からは自由である。
だが、テレビの「改変」には、アーティストである原作者として看過できない部分が頻繁に混ざる。オリジナルキャラクターの追加、番外編と称したパラレルワールドへの転生、ストーリーの勝手なエンディング制作、芸能事務所から送り込まれた素人役者の棒読み演技。どれも、「原作レイプ」としてよく嘆かれる事象だ。
こういった改変を、よく「アニメ化・ドラマ化は作品を嫁にやったものとして諦めろ」と、従来は諭されてきた。というのも、テレビは「たとえ大幅な改変を加えても、原作を売れるようにしてあげられるもの」として、重宝されてきたからだ。
●「テレビ様のおっしゃることだから」で済ませていい時代ではなくなった
【中略】
ちなみに筆者もさまざまなテレビにゲスト出演しているが、「テレビに出られて嬉しいでしょう?」「芸能人に会えるなんてめったにないチャンスですよ」といった言葉をかけられたことがある。思わず「えっ……」という顔をしてしまった私に対し、そのスタッフさんも「えっ……?」と無言で見つめ合うこととなった。もちろん、丁寧な方も多数いる。ただ、それくらい、テレビ局の中にいる方の一部は、未だ「テレビが偉い」と思っているのだ。
続きはみんかぶマガジン
2024/02/02
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