◆「公の場所で、戦争遺跡でもあるからこそ」
かつて陸軍の岩鼻火薬製造所があった群馬の森。火薬工場だった建物や射場跡、日本で初めてダイナマイトが製造された発祥の碑が点在する一角に、朝鮮人追悼碑がある。ハトのレリーフがはめ込まれ、円形の台座から空へ伸びる高さ約4メートルの金色の塔が印象的だ。
「記憶 反省 そして友好」と刻まれた群馬の森の朝鮮人追悼碑。代執行が予想される中で周辺の木の伐採が進む=群馬県高崎市で
「祖国に帰れずに漂う人々の魂を悼む思いが込められています」。碑を管理する市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の石田正人さん(71)は解説する。「群馬の森は多くの県民が訪れる公の場所であって、戦争遺跡でもあるからこそ、植民地支配の歴史や民族差別、人権のあり方を考える場所として碑を置く意義がある」と力を込める。
県内の朝鮮人労働者は群馬鉄山(中之条町)や、日本発送電岩本発電所工事(沼田市)、中島飛行機後閑地下工場工事(みなかみ町)などの各現場で働き、県内で6000人以上が労務動員されたという。
◆追悼式典で「強制連行」に言及したら…設置不許可に
埋もれていた史実を調べたのは、戦後50年にあたる1995年に県民らが結成した調査団。メンバーを中心とした「建てる会」が賛同金を集め、2004年にできたのが群馬の森の追悼碑だった。
追悼碑の存続を願う石田さん=群馬県高崎市で
後継団体の「守る会」によって毎年追悼式典が開かれてきたが、12年、参加者が「強制連行」に言及したことを挙げ「碑文は反日的」などと県に撤去を求める苦情があった。こうした抗議を受けて県は14年に更新を不許可とした。「政治的行事を行わない」との設置条件に反したからという。
更新を求めて「守る会」は県を訴え、18年の前橋地裁判決では勝訴したが、21年の東京高裁で逆転。「追悼碑自体が政治的な紛争の原因」「設置の効用を失った」として不許可処分を適法と認定され、最高裁で守る会の敗訴が確定した。
◆群馬県庁前でも、新宿駅前でも抗議活動
問題は今年に入り急展開をみせている。
県は守る会に対し昨年12月までの撤去を求めていたが、応じなかったとして今月、代執行による撤去の方針を固めたという。
「朝鮮人追悼碑を壊さないで」と通行人に呼びかけた街頭集会=7日、JR新宿駅東口で
危機感を募らせた県民らが県庁前や駅前で撤去反対の声を連日あげ、20日には250人を集める県民集会を開催。
東京・新宿駅東口でも今月7日、連帯するスタンディングが行われ、作家の中沢けいさんも参加。「友好の碑を建てた県民の努力を無にすれば、群馬県に今暮らす外国の人たちも安心して働けない」と撤去の撤回を求めた。
守る会は今月、代執行の手続き停止も前橋地裁に申し立てている。昨年10月には、新たに県が設置更新を不許可とした処分取り消しを求める訴えを前橋地裁に起こしており、再び法廷の場での論争も始まる。
◆撤去求める団体「国益に照らすべき」と主張
碑の撤去を求めてきた団体の一つが「日本女性の会『そよ風』」だ。そよ風は、都立横網町公園(墨田区)にある関東大震災時のデマで殺害された朝鮮人犠牲者追悼碑の撤去も主張している。2019年に同公園で開いた集会では参加者が「不逞(ふてい)朝鮮人」と発言、東京都が人権尊重条例に基づくヘイトスピーチと認定した。
そよ風に追悼碑の撤去を求める理由などを質問したが直接の回答はなく、記者への回答とする文章を20日、自らのブログに掲載。「国、自治体は国益に照らして裁判の判決に従うべきだ」などとした。
だが、司法判断への異論も少なくない。「検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判」の著書がある群馬大の藤井正希准教授(憲法学)は、日本による植民地支配も含め、碑文の記述は政府見解の範囲内であると指摘する。「群馬の森の碑文は、建てる会が県と協議し『強制連行』を『労務動員』に改めている。碑の前で政治的発言をしても、物理的・客観的に碑の性格は変わっていない」と疑問を呈する。