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成田空港の拡張で34年の歴史に幕 反対派との攻防、バブル崩壊…時代の波に翻弄された富里GCの壮絶な“生涯”【小川朗 ゴルフ現場主義】
1/17(水) 10:16配信
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「こんなところにゴルフ場をつくるのはけしからん」
ゴルフ場がその“一生”を終えるとき、そこでは何が起きるのでしょうか。2023年12月31日。富里ゴルフ倶楽部(千葉県)にとって、大晦日が“最期の日”となりました。原因となったのは、
隣接している成田空港に3本目のC滑走路が新設されること。34年に及ぶ歴史に幕が下りる日、コースにはゴルフ場をつくった人、勤めた人、プレーした人、それぞれの切なさと、悲しみと、なつかしさが交錯していました。
18番グリーン左奥にある名物の大クスノキが見下ろせる席に、このコースの「生みの親」が座っていました。東京グリーン富里カレドニアン(株)の早川治良代表取締役会長です。「富里ゴルフ倶楽部 サヨナラ杯」が開催されたこの日の午後、コースを眺めながらお話を聞くことができました。
「このクスノキは九州から持ってきたんです。電信柱みたいに切って、枝を全部落としてね。3分の1くらいの大きさだったんですよ。ここ(クラブハウスのレストラン)から見下ろせるような高さだったのに、今はこんなに大きくなった。それが34年の歴史ですよね」
そう言ってから、とても寂しそうな表情を浮かべて、こう続けました。
「こうした木が、コースの至るところにあります。空港になるのですから、根っこまで全部引っこ抜かなきゃいけない。切るだけでも大変な作業になります」
早川会長が遠い目をして、1989年6月の設立当時を振り返ってくれました。
「富里には本当にいろんな思いが詰まっています。企画の段階から苦労の連続でした。地上げでも最後の一人に至るまで口説き落とすのに、どれだけ苦労したか。これだけ広い面積ですから、一人(の土地)でも欠けちゃうとコースにならない。腹の底から粘り強く、最後の最後まで頭下げてお願いしてやっと全部まとまったという状況でした」
地上げが難しい事情はもう一つありました。空港建設に反対する、過激派の存在です。
「この富里の近くにも、空港反対派の猛者がいて脅されました。『こんなところにゴルフ場をつくるのはけしからん。(団結)小屋を建てて反対するぞ』と言われましてね。自宅へ一升瓶を持って、恐る恐るうかがって『本当にいいコースをつくるんで協力してくれないか』と頭をすり付けてお願いしたこともありました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/952bc12ad4c99a14833ae7e5a23be8a78ea45abc
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