私が思い出すのは東日本大震災直後の2011年8月、やはり吉本のお笑いタレント「島田紳助」の暴力団との黒い交際報道で芸能界引退がニュースになったタイミング。
あのときは民主党政権が地震と福島第一原子力発電所事故直後で大揺れに揺れており、菅直人政権が「野党自民党」と猛攻猛守の最中にもかかわらず、報道と世間の注目は「紳助」一色となりました。
見事に菅直人→野田佳彦内閣への交替といった話題はトップラインから後退していきました。
今回の芸能ネタも、年末から年明けにかけて報じられていた「パーティ券疑惑」などの政治向きの話題、特に柿沢未途議員逮捕などの報道ははるかに後退してほとんど見えません。
私も、20世紀のことではありますが、テレビ番組制作に一クリエーターとしてかかわっていましたので、最前線の現実をつぶさに目にしながら歴史は繰り返すと思うばかりです。
(略)
私が目にしたのは、いまや女優として大成している篠原涼子が松本人志のみならずホンコン、東野幸治といったタレントたちに、ほとんど凌辱されるシーンの数々でした。
1997年頃、九州生まれで正義感の強い某プロダクションのバラエティ・ディレクターが「ダウンタウンのいじめ芸だけは許せない」と言っていた実態がこれだったとは・・・。
こんなものがオンエアされていた頃、アジア通貨危機でグローバル経済は混乱し、山一証券は破綻、神戸・須磨では中学2年生が猟奇殺人「酒鬼薔薇聖斗」事件を起こしていた。
「失われた10年」後半は、より酷い方、酷い方へと流れていたのを再認識しました。
2024年、日本はいじめ笑いを脱却できるか? (略)
何であれ、「クラスの片隅で行われているいじめや暴力を、止めることなく横目で見て笑う」程度のコンテンツ、いわば「他人の不幸は蜜の味」的な番組で視聴率の数字が取れてしまったことが、こうした末期的なコンテンツの横溢を許してしまった。
日本「失われた30年」の不健康な「いじめを笑うメンタリティ」そのものから、いいかげんそろそろ脱却、卒業するべきでしょう。
さもないと、社会が若者の精神からして本格的に根腐れして、どうにも立ち行かなくなるのは明らかと思います。
中学のクラス内で、ワルが女子に暴力をふるうような様を「笑う」あるいは「あざ嗤う」ような心理が、可笑しな視聴率の数字をはじき出す。
それが財貨を生み、最終的には、芸もなにもない、単なる無才のワルをここまで増長させてしまった。
はっきり記したいと思います。「当時の若者の支持」を集めるべく、20代前半のチンピラが工夫したいじめ芸に、何か「才能」なぞと呼べる片鱗も、私は見出すことがありません。
単に経済効果が上がった不幸な間違いとしか言いようがない。
そうした全体を一度ご破算にする必要性を、今回一連の報道は、海外向けの報道まで含め、はっきりと示している。
こちらは客観的に見て、一切間違いありません。