あわせて読みたい
「『まだ早い』なんて言っていると…」生きているうちにやっておかなければマズい“死後”へのリアルな備え〈一億総おひとりさま時代〉
老後について明確なプランを持っている人はそう多くないだろう。しかし、何も準備をせず、いざとなって「もう少し早く対処していれば」と後悔しても後の祭り。将来的なことを想像するのが難しいからと言い訳せず、自分の人生に責任を持つために、まずできることは何なのだろうか。
ここでは、司法書士として高齢者のサポートを続ける太田垣章子氏の著書『あなたが独りで倒れて困ること30』(ポプラ社)の一部を抜粋。胸に留めておきたい心構えを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
たかが戸籍、されど戸籍
離婚・再婚・ステップファミリー・事実婚、同性婚……。さまざまな形があり、家族の関係も、昭和の時代に比べれば多様化したと思います。
そんな中、最近は事実婚を選ぶ方も増えました。選択肢が増え、「ねばならない」という呪縛から解き放たれ、とても良いことだと個人的には思っています。
ただこの事実婚、人生の晩年に関しては、良いことばかりではありません。なぜなら事実婚は、法律上の家族・親族ではないからです。
これまた事実婚をしている有名な女優さんが「遺言書で備えておけば何の問題もない!」と記事の中で語っていました。記事を読んでいて、掲載する前に、「正しい知識を持った人がチェックして欲しい……」思わずそう呟いてしまいました。
遺言書は、財産の分配の仕方を記載しておくものです。事実婚の場合、配偶者ではないので、相続権がありません。つまり遺産をもらう権利がないのです。その点に関しては、遺言書で「遺贈する」ということを残しておけば事実婚のパートナーにも財産を渡すことはできます。
ただし相続と遺贈では、かかる税金が違ってきます。家族だからこそ、相続の税金は他のものより低いのです。でも苦楽を共にしながら生活をしていると、問題は亡くなった後の財産の分配だけではない、ということはもうお分かりですよね?
繰り返しになりますが、日本では(今後、法制度が変わらざるを得ないかもしれませんが)、家族・親族以外には、何の権限もありません。だから当然、事実婚のパートナーには、何の権限もないことになります。たかが戸籍、されど戸籍なのです。
たとえば二人で一緒にいる時に、突然片方が倒れたとしましょう。本人は意識がない状態です。病院がここから家族を探したりコンタクトを取ったりするのは、とても大変です。そのために事実婚であるパートナーに話を伝えたり、聞いたりはしてくれるところも増えました。だって目の前に「親族に近い人」がいるのだから、みすみす他人扱いしてしまうのはもったいない。ただ医療の判断を委ねてまでくれることは、難しいかもしれません。
また全ての医療機関等が受け入れてくれる体制とは、まだまだいえません。住民票が別々の場合には、まったくの他人と扱われる可能性が大です。最終的に事実婚は家族とは認められず、蚊帳の外という可能性もあり得ます。この先変わっていくかもしれませんが、現段階では籍の重みを認識しておいた方が良さそうです。
それが分かっていれば、備えておけばいいだけ。
代理権契約や任意後見、死後事務委任の締結を、第三者である事実婚のパートナーとしておけば良いのです。加えて財産に関する遺言書があれば、税金のことはさておき、ほぼ家族と同じことになりますね。
でもこの手間を踏んでおかないと「家族ではない」という理由で、いろいろなことで排除される可能性があることも把握しておく必要があります。
残念ながら〇〇家の墓にも、一緒には入れません。そもそも墓には入らない(散骨等)という方には問題がないのでしょうが、じっくり考えていくといろいろあります。片方が病気や認知症等で判断能力がなくなってしまえば、もはや入籍(結婚)することもできません。事実婚を選択している方は、その理由や対処法、今後入籍する可能性があるならそのタイミング等もしっかり話し合っておきましょう。
タイミングを逸する前に備えておくことの大切さ
私はこれまで、あちこちで日本はこれから「一億総おひとりさま」時代なのだと、ずっと言い続けてきました。
それでも自分には嫁がいる、子どもがいる、パートナーがいると、あまり危機感を持っていない人が多いのが現実です。そういった家族らの存在ですら、どちらかが先に亡くなるのはもちろん、どちらかが認知症になるなど、何らかの事情で頼れなくなることもあるということは、みなさん想像していないのでしょうか。
国もやっと動き出してはきましたが、基本は『サザエさん』に象徴されるように家族がなんとかするというスタンスなのです。日本の今の制度は、全ての日本国民にはいつでもすぐに駆けつけてくれる家族がいる、ということが前提で成り立っています。
ところが現実は、未曽有の少子高齢化。
この事態は先代たちが経験していないことなので、対処法も見つかっていません。私たち自身が将来を想像し、備えておかねばならないのです。
それでもまだまだ国民の大半は他人ごと。あるいは日々の生活に追われ、将来的なことを想像する余裕すらないのかもしれません。
今こそ私たちは、自分の人生に責任を持つ時代に来ているのだと思います。
私が出会った高齢者の人たちは、「頭では理解できるけど、もはや動けない」とタイミングを逸した人たちばかりでした。
こういった人たちと接していて思うのは、もっと元気なうちに転居していれば、現役の時代に将来を見据えていたら、もう少し早く対処していれば、と残念なことばかりです。
「まだ早い」
みなさんそう言います。
でも早すぎて悪いことはありません。早ければ早いほどクリアな頭で、最大限の情報収集をした上で判断することができます。そしてその後の人生を不安なく、楽しむことができます。良いこと尽くしなのですが、人は「まだ早い」と目を背けてしまいます。
自分が老いることを認めたくない、認知症になることを想像したくない、弱ることや死ぬことを考えたくない、自分にまだ元気があることを誇示したい、その思いは分かります。でもそこに蓋をしてしまった人が、困ったことになっているのです。
まだ今は、誰かがボランティアで何とかしてくれるかもしれません。でもこの先、高齢者がますます増え、若い労働者人口が減ってくれば、もはや備えていない人たちは誰にもケアしてもらえなくなります。
子どもがいる人だって、子どもが自分より長生きする保証はありません。日本に住んでいるとも限りません。
今まで一生懸命に働き、資産を形成してきたのです。誰かに残すことを考えるより、生きている間の自分のためにお金が使われるように備えませんか?
家族がなんとかしてくれる時代は、とっくに終わっています。これからは自分のことは、自分で備える時代。どんなにピンピンコロリであったとしても、死んだ瞬間から誰かの手を借りなければ成り立ちません。
まずそこに早く気が付くべきなのです。
「まだ早い」なんて言っていると、サポートしてくれる会社の争奪戦に出遅れて負けてしまう、そんな時代が来るかもしれません。
そして家族・親族だけではなく、心の支えとなる友人・知人も大切にしていきましょう。彼らはあなたの人生の晩年を、豊かにしてくれる貴重な存在です。
善意に頼って、関係を最後に壊すのは止めましょう。そんな悲しいことはありません。何度も言っていますが、家族以外の誰かに頼るなら、正式な権限が必要であることをお忘れなく。権限がなければ何もできず、後味の悪い最悪な結果となってしまうでしょう。
〈腐敗が進んで“お汁状になった遺体”が浴槽に残ってしまうことも…生前から準備しておきたい“本当に大切な孤独死対策”〉へ続く
(太田垣 章子)
<このニュースへのネットの反応>