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【箱根駅伝】東京12チャンネル初中継で高視聴率 1979年…日テレが出遅れた背景
坂田氏が箱根駅伝に魅了されたのは入社1年目、1964年の第40回大会がきっかけだ。有望株だった順大の沢木啓祐(2年)がヒザ痛を抱えたまま出場。華の2区で区間15位と失速するも、帖佐寛章監督は「2区を4年間任せられるようなランナーがいないと、箱根で優勝できない」と擁護。沢木が4年時に初の総合優勝を成し遂げた。
箱根路に懸ける覚悟を体感し、坂田氏は感情は揺さぶられた。早速「箱根駅伝を中継しましょう」と上層部に訴えたという。しかし、先輩たちはあきれ顔。64年の東京五輪でNHKが世界で初めてフルマラソンの生中継にようやく成功したばかり。技術面の問題も多く、箱根駅伝の中継は夢のまた夢だった。
それから14年。箱根路への思いが募る中、78年に箱根駅伝を共催している読売新聞社スポーツ事業部の湯浅武部長から「以前、君が箱根駅伝の中継をしたいと言っていたけど、それはまだ生きているの?」と連絡があった。東京12チャンネル(現テレビ東京)が箱根駅伝の中継を希望してきたからだ。坂田氏は「日本テレビが中継できるようになったら、私たちができるようにしてください」とお願いしたというが、勝手な要望が今後につながる。
東京12チャンネルは79年の第55回大会を放送。1~9区は編集したVTRを流し、最終10区とゴールシーンを生中継した。つたない放送だったとはいえ、いきなり10%近い視聴率を獲得。その後も12~13%台の高視聴率をマークした。
東スポ2023年12月29日 06:00
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/286784
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