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〈「私を生み出したお前達への、逆襲だ」遺伝子操作によって誕生→「優生思想」に陥ってしまった唯一のポケモン「ミュウツーの悲哀」〉から続く
知的障害者・精神障害者・遺伝性疾患患者・同性愛者・路上生活者など20万人以上を安楽死によって殺害……ナチス時代のドイツに蔓延した「優生思想」とはどんなものだったのか?
優生思想がもたらした歴史的な惨劇と、現代社会にもなお潜む危険性について、哲学研究者・戸谷洋志氏の新刊『親ガチャの哲学』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
弱いポケモンを淘汰しようとするミュウツーの信念は、前述の通り、優生思想を想起させます。
改めて説明すると、優生思想とは、望ましい性質をもった人間の出生を促し、望ましくない性質をもった人間の出生を妨げようとする思想です。一般的には、知性の優れた人間を創造することや、不健康な人間を淘汰することが、その目的に掲げられます。またそうした目標を達成するための手段として、望ましい性質をもった人間同士の生殖が奨励されたり、望ましくない性質をもった人間の生殖が禁止されたり、最悪の場合、そうした人間の抹殺までもが行われたりします。
優生思想は、歴史の中で様々な惨禍を引き起こしてきました。その代表格として挙げられるのが、ナチス政権下のドイツで行われた障害者への暴力です。
1933年、ドイツで政権を奪取したナチ党は、遺伝病子孫予防法という法を成立させ、40万人の身体・精神障害者を強制的に断種しました。もともとナチ党は、国家を優れた国民によって構成することに異様な関心を持っており、青い目・金髪・長身のいわゆる「アーリア人」と呼ばれる遺伝子的特徴を望ましい性質として位置づけました。それに対して障害者は、望ましくない性質を持つ人々として、後世に残すべきではないと捉えられてしまったのです。
こうした思想は、第二次世界大戦中に過激化していきます。1939年、ヒトラーはナチ党高官に対して、知的障害者・精神障害者・遺伝性疾患患者・同性愛者・路上生活者などを安楽死させることができる、という権限を与えました。これを受けて、ベルリン市内のティーアガルテン通り四番地に、一酸化炭素ガスによって対象者を中毒死させる施設が設立され、大量虐殺が始まります。この地名に由来し、この事件は一般に、「T4作戦」と呼ばれます。
結局、カトリック教会からの猛烈な反発を受けて、この作戦は中止されるのですが、それまでにおよそ7万人が殺されたと記録されています。さらに、その後も精神科医や看護師によって安楽死は続けられ、他の殺害方法も合わせると最終的に20万人以上が殺されたと言われています。
一連の事件は、優生思想が引き起こした最悪の出来事として、広く知られています。しかし、それは決して過ぎ去った昔の話ではありません。私たちの社会には依然として優生思想の空気――すなわち、生き残るべき人間を選別し、劣った人間は淘汰したいという願望――が漂っています。そしてそれが、時として凶悪な事件として顕在化し、多くの犠牲者を出しているのです。
2016年7月26日、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、元職員による大量殺人事件が起こり、世間に衝撃を与えました。この事件は一般に「相模原障害者施設殺傷事件」と呼ばれます。犯人の植松聖は、入居している知的障害者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせました。
注目を集めたのは、植松が犯行に至った動機です。もともとそこで働いていた植松は、その心中を次のように語りました。重度障害者への社会保障は「税金の無駄遣い」であり、「重度障害者を安楽死させれば、その分のお金が循環し、世界平和につながる」ため、自らの犯行は「全人類の為」であった――すなわち彼は、被害者に対して個人的な怨恨があったわけではなく、公益のために犯行に及んだと考えていたのです。
障害者への社会保障が税金の無駄遣いである、というロジックは、まさにナチ党が障害者を差別するために用いたものでした。植松は「ヒトラーの思想が降りてきた」と語っており、識者の間では両者の思想的な連関が指摘されました。もっとも植松自身は、その後、この言葉を「軽い冗談だった」と言い、訂正しています。ただ、それが冗談で済まされない発言であることは言うまでもありません。
本人が自覚していないだけで、やはりナチズムと彼の間には明らかな思想的共鳴があるのではないでしょうか。それは、優れた人間によって世界を作り、劣った人間を淘汰したい――そうした、社会のなかに伏流する呪いが顔を出したものなのではないでしょうか。ミュウツーの思想も、その表れの一つなのかも知れません。