【韓国の歴史】 司令塔はキッシンジャー、韓国の核兵器開発計画を挫折させた米国の周到な手口

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【韓国の歴史】 司令塔はキッシンジャー、韓国の核兵器開発計画を挫折させた米国の周到な手口

1: 仮面ウニダー ★ 2023/12/10(日) 07:15:56.67 ID:aaFOz4qX
ー前略ー
・韓国の知られざる歴史、核兵器を開発しようとして挫折
 毀誉褒貶の激しい人で、現在でも評価は二分されているが、僕は留学先の韓国でこのニュースに接し、ある種特別な感情を抱いた。
というのも、日本の大学の修士課程で東アジアの国際関係論を学んでいた頃、
キッシンジャーの回顧録と会談録を読み込むところから研究を始めたのだ。「キッシンジャー外交」が韓国をどう扱ったのか、そして韓国がどうそれに対応したかというのが、僕の修士論文のテーマであり、最初の査読付き論文のテーマにもなった。

 先に結論を書くと、なんと、韓国は1970年代に核兵器を開発しようとして、挫折したという歴史をもっている。
北朝鮮ではない。韓国が核兵器開発を試みた歴史があるのだ。

 韓国の核兵器開発計画とその挫折の歴史。それに深く関わっていたのが、当時国務長官などとして働いていたキッシンジャーだった。

 ここからの話は米国の公文書、外交文書に基づいている。一部、韓国政府の当事者たちの証言も引用する。
僕の書いた論文(英語)は無料でダウンロードできるので、出典が気になる方はそちらを見てほしい。

・「平和を維持するために核兵器が必要だ」
 そもそも、韓国はなぜ核兵器を開発しようとしたのだろうか。

 まずは、1960年代後半から70年代前半にかけて、安全保障環境が悪化していたことがあげられる。
例えば、1968年から1972年にかけて、軍事境界線では722の事件が起き、後部地域でも294の事件があった。

 ここでは十分に触れられないが、青瓦台襲撃未遂事件(1968年)、プエブロ号事件(同年)、
アメリカ海軍EC-121機撃墜事件(1969年)と、北朝鮮の関連する大きな事件が相次いで起きている。
しかし、これらの北朝鮮からの攻撃・挑発に対して、米国は、韓国が主張したような平壌への空爆などは行わなかった。
自制的な対応を取ったのである。

 さらに、ニクソン政権が1969年に始まると、キッシンジャーが主軸となり、新たな外交政策が立案された。
「ニクソン・ドクトリン」の発表である。それまでの外交政策とは異なり、ベトナム戦争のような直接的な軍事介入は控え、主軸を間接的な軍事支援や経済支援に切り替えたのである。

 実際、ベトナムを含むアジアからの米軍撤退は劇的に行われた。1969年1月の約72万人から、
1971年12月には約28万人にまで削減されたのである。在韓米軍は6万3000人から2万人削減された。

 これに焦ったのが、韓国の当時の大統領、朴正煕(朴槿恵元大統領の父親)である。
「自主国防」をスローガンとして掲げていた朴正煕は、北朝鮮からの攻撃と米軍撤退に対応を迫られた。

 米国から見捨てられるかもしれない・・・。その恐怖におびえた朴正煕が選んだのが、「韓国の核兵器開発」であった。
「プロジェクト890」と呼ばれる計画である。朴正煕は開発担当者に向かって、こう話した。

「平和を維持するために核兵器が必要だ」

 金鍾泌首相(当時)に向かっては、こう語った。

「我々も核兵器を研究しなければならない。いつ米軍がすべて撤退するか分からないから、韓国を守る武器が必要である」

 こうして、韓国の核兵器開発計画がスタートした。それは概ね、1973年頃に始まったとみてよい。
ー後略ー
(韓光勲:在日コリアン3世ライター)

JBpress 2023.12.10(日)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78298


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