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【Money1】 中共・韓国の外交は「現在でも古代・中世レベル」
これは、国際的な外交を今でも華夷秩序に基づいて行っているからだ――と考えてもいいと思われます。
以下に古田先生のご指摘を引用してみます。
(前略)
何を言いたいのかといえば、古代の東洋で通例であった礼というのは、今で言えば外交の作法のようなものであり、その背後には対立、襲撃、臣下の告げ口、王のお叱り(実は牽制)等があったということである。
要するに東洋の国際関係とは、王国内の王と臣下たちの日々の関係を、東洋全体の国同士の関係にまで拡張したものなのである。
そこに忠貞の濃淡を設けて格付けした。
これをテクニカルタームで「華夷かい秩序」と呼んでいる。
(後略)
⇒参照・引用元:『統一朝鮮は日本の災い』著:古田博司,飛鳥新社,2008年09月25日 第1刷発行,p44
※強調文字は引用者による。原著では強調文字部分はルビになっています。
中国の外交を「王国内の王と臣下たちの日々の関係を、東洋全体の国同士の関係にまで拡張したもの」と捉えると、ド偉そうな態度が理解できるのではないでしょうか。つまり、他の国を「臣下」だと考えているのです。
次に韓国。朝鮮半島は中国の属国であり続けました。中国から切り離され、中国の影響を遮断して暮らすことができたのは、日本が併合したおかげです。このとき、歴史上初めて朝鮮は中国を下に見ることができました。
朝鮮半島の人が日本国民になり、その日本は日清戦争に勝利した国だったからです。
日本併合前の李氏朝鮮はどのような外交を行っていたかというと、うちは明から最も高く評価されている国(それも自称)だということが唯一の自慢で、それを基に他の国を見下していました。
簡単にいえば、虎の威を借る狐ですが、その駄目さ加減は外国から見れば実に滑稽こっけいです。
同じく古田先生のご指摘を以下に引いてみます。
(前略)
李朝は、勿論シナの[礼]に潜んだ策略を冷静に悟っていた。
「蛮夷ばんいに蛮夷を攻めさせるのは、中国の勢いであり、すなわち今日の中国の謀はかりごとだ」
(世祖実録、世祖2年(1456年)2月28日条、世祖の朝議での発言)。
だが、満州族との衝突の種は、いつも朝鮮側だった。
1491年には、渡河して殺害事件を起こし、復讐戦を仕掛けられると、満州族に書を送って脅した。
「堂々の大国が、どうして座して侮辱を受けるだろうか」(成宗実録、成宗22年(1491年)7月15日条、成宗の書簡)と、まるで大国気分だったが、逆効果で、猛烈な満州族の侵攻を招いた。
[大国気分]というのが、コリアの周辺国に対するスタンスであり、他方、周辺国のコリアに対するスタンスは[嘲笑]である。
(後略)
⇒参照・引用元:『統一朝鮮は日本の災い』著:古田博司,飛鳥新社,2008年09月25日 第1刷発行,p45
※強調文字、赤アンダーラインは引用者による。
15世紀の話――「大国気分」で満州族を蛮夷と侮り、精神勝利していた李氏朝鮮が、満州族に対していかにド偉そうな外交を行っていたか、そして侵攻されたか――なのですが、現在とどこが違うの?と思われないでしょうか。
違いません。
「衝突の種がいつの朝鮮側にある」という点も同じなら――「自身の大国気分」による朝鮮の威丈高な態度と、それに対する「周辺国の嘲笑」という構図も――全く同じです。
古田先生のご指摘はいつもながら実に的確です。
つまり、中国と韓国は現在でも古代~中世の外交を行っているのです。
両国とも国際法をちっとも守りませんが、これも「臣下が作った法を守る必要などあろうか」という姿勢の現れと見るべきなのかもしれません。
合衆国、欧州、日本などの自由主事陣営国だけでなく、世界中の国が言うでしょう――「お前の臣下になんぞ、なった覚えはない」と。
日本の斜め上方向には「いまだに古代~中世をやっている“時間軸のずれた国”」があるというわけです。
まともなお付き合いなどできるでしょうか。だからこそ日本は中韓と距離を置くべきなのです。
(吉田ハンチング@dcp)
2023.12.9
https://money1.jp/archives/117806