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迷う今岡に岡田は言った
“口撃”に滅入っていた今岡は2000年、開幕から精彩を欠いた。6月2日の広島戦、1点差の9回裏無死一塁の好機をバント併殺打で潰してしまう。すると翌日、田中秀太と入れ替わりで登録抹消になった。鳴尾浜球場で気落ちしながらバント練習を始めると、岡田二軍監督が声を掛けた。
〈お前は、バント要員やない。バットでレギュラーを獲るんや。そこは間違えるなよ。ただし、バントの練習はいらないというわけやないで〉(※7)
今岡は嘘をつかず、本音で接する岡田に心を動かされた。
〈普通なら、一軍の監督の顔色をうかがって『お前、バントを人一倍練習しておけよ』というのが建前としての仕事でしょ。岡田さんはそうじゃない。それが本音ということなんです〉(※8)
https://news.yahoo.co.jp/articles/75b7dd67f692d11d4aa5c0a60831032a9f77db0c?page=3
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https://news.yahoo.co.jp/articles/6138d1695e9966e5933e76274557b7ad1d0477e8?page=3
コロナ禍の最中、岡田教授は大山にネクタイをプレゼントするなど交流を続けてきたという。
「大山君は学生時代からきちんと授業に出てレポートを書き、優秀な成績で卒業した文武両道の子でした。
彼はシーズンオフになると必ず母校の野球部に顔を出してくれるのですが、以前、あまりに真面目すぎるので『少しは気を抜いてもいいんだよ』と声をかけたら、
『先生、それは違います。20年30年と野球で食べていけるわけではないから、一瞬一瞬を全力でやるしかないんです』と言う。
私は思わず『すみません』と謝ってしまいました。そのストイックさが今回、報われたのだと思います」
めっちゃしっかりした子やなあ
同い年の頃のわいなんてちゃらんぽらんなお子ちゃまやったわ
巨人時代
日本球界復帰を目指していたアリアスのこれまでの日本での実績、本拠地の東京ドームとの相性の良さなどに巨人が着目し、2006年シーズン途中の6月28日に巨人と契約した。
チームに故障者が続出する中、7月5日の対中日ドラゴンズ戦で6番・左翼手として初出場したが、結果を残すことができず二軍降格。
わずか17試合出場に終わり、この年限りでの退団が同年11月2日に発表された。帰国の際、「チームを救済できずに申し訳ない」と話した上で、
「阪神では信念や希望を持ち、何より野球は楽しむものだと感じた。巨人にはいいプレイヤーがいるが、重圧に負け野球を楽しんでいない」と語った。
そこまでせな打てん奴が他所言ってもしんどいよそら
オリックスでも打ててたんだからそれはどうなんや