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「1985年」岡田監督と戦った日本一戦士の川藤幸三阪神OB会長 「遠い道のりやった。オカよ、ありがとう」
1985年のシーズン中の一コマ。笑いのとまらない阪神ベンチ。右端が川藤
https://www.sanspo.com/article/20231106-GQLE7HOU7VNJHHA6CS6HKAAYDQ/
1985年、代打中心も、その存在感でチームをまとめた〝浪速の春団治〟川藤幸三阪神OB会長(74)が祝福メッセージを寄せた。
とうとう日本一かぁ。岡田と一緒にワシらが吉田(義男)さんを西武球場(現ベルーナドーム)で胴上げして38年。長い短いのレベルでは語れない、遠い道のりやった。その間、タテジマの先輩監督も、よそから来た監督も、誰もなしえなかった頂点。オカよ、ありがとう。
38年前のチームはバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発に象徴される、200発打線を誰もが思い浮かべると思う。間違いではない。
でも、ワシに言わせれば、まず1点を取りに行く野球が基本やった。吉田さんはそれを徹底していたし、その作戦の根幹はバント。早いイニングは結構、バントした。ことし、岡田は全く同じ野球を実践した。一回に中野にバント指示するケースをよく見たはず。吉田野球とよく似ていた。
前回優勝時(2005年)の岡田はある意味で馬なり、選手任せ。今回は近本にフリーで盗塁を狙わせる以外は、すべて自身が指示を出した。選手任せではなく、責任はすべて自分が背負う野球。それが今の選手にマッチしたように感じる。
そして、新たに岡田が身に付けたのが「ファンの力を利用する野球」。ベンチで感じたのだろう。観衆の勢いを。シリーズで湯浅投入で一気にその場の空気を変えた。大観衆を武器にした。
OBの1人として、こんな幸せはない。さあ、今度は球団として一度も達成していない連覇や。巨人に負けない、伝統球団に恥じない、成績を積み重ねてもらいたい。(阪神OB会長)