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【韓国】YOASOBI韓国公演、1分で完売 開放25年 日韓音楽交流の現在地
――文化開放以降の日韓の文化交流はどのような道のりをたどったのでしょうか。
◆日韓は文化を介して新しい「他者」に出会うようになった。文化開放というと韓国で日本の文化が開放されたという一方的なものに見えるが、日本に韓国の文化が入ってくるきっかけにもなった。「冬のソナタ」が火付け役になった、2003年以降の第1次韓流ブームが象徴的だ。そこで日本人は現代的な、今まで抱いていたステレオタイプとは違う韓国に出会った。
一方、日本はかつては経済大国で韓国に対しても余裕を見せていたが、バブル崩壊以降その余裕はなくなった。韓国の文化が日本に流入すると同時に、00年代に「ネット右翼」と呼ばれる人々が出てくるようになり「嫌韓」という言葉が生まれた。韓国も経済力をつけ、今度は日本製品の不買運動などナショナリズムと経済を結びつける動きがあった。
しかし、近年は日韓両国の人々がナショナルアイデンティティーだけに縛られず、ジェンダーなど国家を超えたアイデンティティーで日韓をとらえ、連帯するようになっている。これは世界の潮流でもある。
テレビからSNSへの時代へ
――日韓の音楽交流の変化についても教えてください。
◆J―POPもK―POPも互いに持っていないものがある。この25年の間、その違いに引かれあい、影響しあってきた。一方、韓国では教科書問題が起きて開放政策が中断することがあった。日本も12年に日韓関係が悪化した際に、日本のテレビから韓国ドラマやK-POPが消えた時期があった。10年代前半までは文化に政治とナショナリズムが絡み合っていた。
留意すべきは開放後の約20年間は文化をけん引していたのはテレビだったという…
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毎日新聞 2023/10/25 11:00
https://mainichi.jp/articles/20231024/k00/00m/030/253000c