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中日・立浪和義監督に必要な“参謀”「友達同士は駄目」 OB危惧…このままなら「3年連続最下位」
立浪和義監督入団時に中日1軍守備コーチだった正岡真二氏
立浪和義監督率いる中日は2022年、2023年と2年連続セ・リーグ最下位に沈んだ。そんなドラゴンズをOBの正岡真二氏も歯がゆい思いで見つめている。現役時代は内野守備のスペシャリストとして活躍し、引退後はコーチ、2軍監督、スカウトを務めた。1967年のドラフト4位で今治南から入団し、1984年に引退。1987年に1軍コーチで復帰し、2014年に退団するまで、合わせて45年中日一筋。そんな正岡氏がかつての教え子でもある立浪監督に“激辛エール”を送った。
「このままの状態だったら3年連続最下位や。今度はお客さんも減るよ」。2023年シーズンについて正岡氏は厳しい表情で語る。「試合に緊張感がないんだよ。だからミスも出る。おそらく真剣に怒ってくれる人がいないんじゃないか。見ていて面白くないもん。活気がないし、一人一人がどうにかしてやろうとかさ、その辺が感じられない。一生懸命やっているのは第三者が認めること。いくら自分が一生懸命やっていても第三者が認めなかったら駄目なんだよ」と言い切った。
正岡氏にとって立浪監督はかわいい教え子の1人だ。1987年ドラフト1位でPL学園から立浪氏が中日入りした時、正岡氏は中日1軍守備コーチだった。「仙さん(星野仙一監督)に『立浪を使ってください』と言ったら『1年目は使ってやるけど、2年目からは実力でしか使わんぞ』って言われたのを覚えている。本当に1年目は我慢して使ってくれたよね」。
星野監督はそれまでのレギュラー遊撃手、宇野勝内野手をセカンドに回してルーキーを使った。立浪氏も期待に応え、1988年シーズンは打率.223ながら110試合に出場。巧打、好守、好走塁で中日のリーグ優勝に貢献し、新人王に輝いた。「1年目は鍛えるじゃなしに大事に育てたよ。立浪は細かいプレーは決してうまくなかったけど、前で捕るのがうまかったな」と正岡氏は振り返る。その後、立浪氏は肩を痛めたこともあって1992年の高木守道監督時代にセカンドに回ったが、それを進言したのも正岡氏だったという。
立浪監督の指導法に熱い助言「コーチを怒ればいい。友達同士の感じでは駄目」
「肩も悪かったし、セカンドの方が長くやれると思った。セカンドだった種田(仁内野手)をショートにした。あの時、変わってよかったんじゃないかな。守備が安定してバッティングにもいい影響を与えたと思うよ」と懐かしそう。「立浪は最初、セカンドでは待って捕ることが多かったから『なんで待つんだ』と聞いた。近いからというから『セカンドもショートも一緒だよ、前で捕れ』って言った。それからセカンドでも前に行きだしたな」と話した。
それほど思い入れもある選手が今、監督として苦しんでいるが、あえて優しい言葉をかけようとはしない。「2年連続最下位ってことは指導が悪いってことや。立浪は厳しくやっているのかもしれないけど、やっていることも間違っているんじゃないのか。そうじゃないと、この成績はおかしいやろ。ピッチャーが抑えると打たないし、点取ったら打たれるし、歯車が狂っている原因は必ずどこかにある。それをちゃんとしないと……」と手厳しい。
正岡氏は「立浪の周りももっとしっかりしてくれないといかん。そして立浪はコーチを怒ればいい。友達同士の感じでは駄目だ」と声を大にした。星野監督時代の島野育夫ヘッドコーチのような存在が必要という。「チームで決まったことを島野さんはこういうふうにいくぞ、こういうふうにやるぞって説明していた。全員集めて言ったり、各担当に言ったり。それでいて選手に寄り添ったり、話したりね。そういうことができる人が立浪の周りにいないといかんのや」。
ドラゴンズ一筋だった正岡氏の言葉はとにかく熱い。「石川(昂弥内野手)とかスケールが小さくなっていないか。長距離打者にしなきゃいけない。できなかったらコーチが悪い。選手の特徴を生かして教え込まなきゃいかん。育てなければいかん」と中日のことを語り出したら止まらない。もちろん、すべて期待の裏返しなのは言うまでもない。「そりゃあ強くなってほしいし、変わってほしいよ」。そう心底、願っているからこそだ。