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財津一郎さん死去 「タケモトピアノ」CM、9月末で契約切れていた「余生を楽しんでおられる」
(出典:日刊スポーツ) |
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1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2023/10/19(木) 13:10:17.43 ID:UlXMAt7h9
2023/10/19
「ピアノ売ってちょうだ~い」
財津一郎さんが歌いながら呼びかける『タケモトピアノ』のテレビCM。20年以上にわたって放送され、誰もが1度は目にしたことがあるはずだ。赤ちゃんがピタリと泣き止むCMとして、バラエティー番組『探偵ナイトスクープ』で取り上げられ“伝説の放送回”と話題になったことも。
その財津さんが人知れず亡くなっていたことが週刊女性PRIMEの取材でわかった。89歳だった。
財津さんの知人が明*。
「10月14日に亡くなりました。18日に通夜、19日に告別式が執り行われました」
財津さんは1962年から1968年にかけて放送されたコメディー番組『てなもんや三度笠』に出演し、藤田まことさんや白木みのるさんと共演。「キビシーッ!」「~してチョーダイ!」が口グセの浪人役で、お茶の間に笑いを届けていた。同番組は、関西地区で最高視聴率64・8%を出したこともある人気番組で、財津さん演じるセリフは、流行語にもなったほど。
その後、財津さんは俳優としても活躍。1969年公開の映画『男はつらいよ』シリーズに出演したほか、1978年に放送された松本清張ドラマシリーズや、1979年から放送された『3年B組金八先生』シリーズに出演した。
しかし、2011年放送のスペシャルドラマ『3年B組金八先生ファイナル』の出演を最後に、ここ10年ほどは病に見舞われて仕事を断っていた。
最愛妻の他界を境に体調も悪くなり…
『週刊文春』に掲載された2019年のインタビューでは、肺の前がん病変であったことや、心臓に水がたまる病気だったと明かしていた。体調が回復すると、2019年の秋に4歳年上の妻・ミドリさんが自宅内で転倒し、右手首を骨折。財津さんが家事を一手に引き受けて、妻をお風呂に入れることまで担っていたという。老々介護の実情を明かした財津さんは、同インタビューで、
《何十年もお世話になったままへの恩返し。人生最後のご奉公のつもりなんだ》
と語っていたが、2020年2月にミドリさんが息を引き取った。一時は気落ちしたこともあったが「絶対に暗くならない」をモットーに前を向き始めていた。
そんな財津さんの様子を、取材に応じた息子が明かしてくれた。
「母を支えることが父の活力でしたから、母が亡くなってから元気がなくなったのは確かです。母の死後は、体調が悪くなることもありましたが、大好きなゴルフを楽しむため、リハビリを頑張っていました。高齢で危ないので、運転免許の返納をお願いしていましたが、ゴルフをしたいから頑として首を縦に振らなくて……。なので、僕がゴルフ場に送って一緒にプレーすることを条件に免許の返納をしてもらいました。ゴルフの腕前はなかなかで、今年は自身の年齢以下でホールアウトするエージシュートを出したんです。89歳にして、スコアは87でした」(財津さんの息子、以下同)
2023年6月までは毎月、親子で一緒にゴルフを楽しんでいたという。しかし、
「8月ごろ、血液を全身に送り出す心臓の力が弱まってきたんです。“入院だけはしない”とする本人の意思を尊重し、自宅療養を続けていました。何でも人に頼らず“自分でやる”という人でしたが、10月の初旬からは歩くのも困難になっていき……14日に息を引き取りました。死因は慢性心不全でした」
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https://www.jprime.jp/articles/-/29644?display=b