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【朝鮮日報】「朝鮮の料理はとても辛いし臭い」 植民地朝鮮を観光した日本人たち【書評】
「一見した京城(現在のソウル)市街の様子は実に、とても印象的だった…それは内地(日本)などではどこにも見られない山の様子だった。うっすら霧がかかる中、朝の日差しを浴びた家々はどれも白く輝いていた…まるでどこか外国のまちに来たかのような、異国的な眺めだった」
ソウル観光に来た日本人が「まるで外国に来たかのよう」と記すこのおかしな文章は、1941年に小説家の新田潤が書いたものだ。韓国の近代観光産業が本格化したのは、不幸にも他意によってのことだった。1910年以降、朝鮮総督府は植民地観光開発のため日本人が京城や平壌、釜山などを旅行するように誘導した。産業化で発展しているような都市の様子を見せてやることで、日本帝国主義の正当性をPRしようという狙いだった。韓国学中央研究院人文地理学専攻教授の著者は、当時の紀行文や観光案内書、地図・写真などを分析し、消費者の観点から植民地朝鮮の日本人観光を分析した。
「旗観光」という別名を持つようになる日本人パッケージツアーの特性が、このときから現れた。現場と一定の距離を保つため、現地の人々と対面する機会が排除された観光だった。「辛くて臭く、油っこい」として朝鮮の料理は好まれず、妓生(キーセン)を見るために料理屋を訪れた。彼らが残した紀行文の中には、大抵「帝国主義支配の下、落後していた朝鮮が発展している」という楽観的な展望が織り込まれていた。しかし「朝鮮人はこれ(都市の変貌)を巡ってどう思うだろうか。皇化の恩恵と歓呼するだろうか。異文化の侵入、固有文化の破壊と呪うだろうか」という、ある日本人の記述からは、やや良心の呵責(かしゃく)もうかがえる。506ページ、2万8000ウォン(約3100円)
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
朝鮮日報日本語版
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/09/26/2023092680157.html