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【天皇家朝鮮半島出自説】 韓国の役人が持ち出した…日韓基本条約締結の交渉を目の当たりにしたバンカーの告白
50年以上たった今だからこそ話せる、条約締結合意に至るまでの裏話を明かした。
ー中略ー
・韓国側の「脅し」
「協定締結間近になると、向こうにひと月ほど滞在して連中と毎日激しくやりあいました。とくに最後の5日間は、今でも忘れられません。
戦前から韓国の独立運動をして初代大統領になった李承晩の生誕地へ連れて行かれましてね。たしか果物の柿が名産の地域でした」
李承晩は韓国の国父と呼ばれる。1875年3月に京畿道開城市近郊の黄海道平山郡馬山面大慶里(現・黄海南道峰泉郡)に生まれ、
渡米してジョージ・ワシントン大学やハーバード大学、プリンストン大学に学んだ。
終戦から3年経た’48年8月15日、大韓民国政府樹立を宣言し、初代大統領に就任。
玉置たち日本側の3人は、韓国の英雄の幼少期から独立運動まで詳しく説明を受け、別の地へ移動したという。
「李承晩の故郷には2日間いたかな。それから日本海に面した古都の慶州市に移動し、仏国寺という有名な寺に宿泊しました。
寺で晩さん会が開かれ、ご馳走になりました。そこで、韓国側の人たちが『皆さん、これをご存知ですか』と
おもむろに剣や鏡、勾玉を持ち出して見せてくれた。それがナント、三種の神器なんです。
『日本の天皇さんは、これを日本に持ち帰り、模倣して作ったんです』と言うではないですか。
要するに、日本の天皇は韓国人の子孫なのだから、大人しくわれわれの言う通りにしなさい、と脅しているわけです」
今もときおり耳にする天皇家の朝鮮半島出自説だ。真偽はともあれ、
玉置たちはそれを中央銀行の職員や政府の役人が持ち出すことに驚いたという。
さらに日本側の3人は、3日目に釜山郊外にある東萊温泉に案内された。次のようにも語る。
・偽りの歴史を讃える韓国
「韓国にはあまり温泉がないのですが、そこの料亭には東萊妓生という芸者がいて、海外の客をもてなす。
彼らは『何を隠そう、あの加藤清正を殺したのは東萊妓生なんですよ』とその勇敢さを讃えるのです」
繰り返すまでもなく加藤清正は、文禄の役で豊臣秀吉に命じられ、朝鮮半島に渡って京城攻めをして名を成した。
徳川優勢になると、徳川家に乗り換え、熊本城主となる。
「だから韓国の芸者に殺された、なんてありえない。なのに、向こうの高級官僚まで信じているのです。
しかも歴史の教科書にもそう記されているという。それを伝えるためにわざわざ温泉にまで連れて行くのだから、驚きました」
日本と韓国が条約を結んだのは、そうして玉置たちが韓国側とやりあってから間もなくのことだ。
戦中の日本は朝鮮半島でインフラ整備をおこなってきたことから、施設の債権を主張してきたが、それを放棄。
韓国側は植民地時代の賠償を含めた経済援助を求めた。
肝心の日韓基本条約は’65年6月22日に両国で締結し、同年12月18日にソウルで批准書が交わされた。
おかげで両国の国交が回復。日本側は韓国に対し、まず10年間で3億ドルの無償資金協力をし、有償でも2億ドルの資金を提供すると約束。
のちにこれが11億ドルにまで膨らんだ。文字通り無償資金協力は返済義務がない援助であり、有償資金協力は返済義務を伴う。
ー後略ー
もり・いさお
全文はソースから
9/28(木) 17:03配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0129d0b178424198100a4ace7a36df0b1db40a7