あわせて読みたい
小野伸二を初めて見たとき「なんじゃこりゃ」マラドーナの領域を感じさせた唯一の日本人
静岡支局時代、清水商1年の秋から卒業までを取材した。初めてプレーを見た時は「なんじゃこりゃ」だった。1年生ながらすべてが異次元。トラップは全身吸盤かのようにどこでもピタ。パスはノールックだろうがピタリ。
利き足がわからないぐらい正確無比な両足キック。そして何よりその独創性あふれるプレーにわくわくしっ放しだった。当時のカメラはAFではなかったため、想像がつかないプレーをしっかり撮るのは至難の業だった。
そんな小野でも激戦区静岡にあって全国選手権には縁がなかった。3年の準決勝、PK戦では静岡学園GK南(大宮)の逆をとりながら、ポストに当てた。「あの大観衆の中で1度でいいからやりたかった」。悔しすぎて涙も出なかった。
高校時代の悔しさが向上心を刺激したのか。それまでは優等生発言が多かったが、浦和入りが決まってからは言動も変わった。卒業前の新春インタビューで「今までは日韓W杯でいいやと思っていたけど、
急にフランスに出たいという気持ちが強まった。とにかくチャンスがほしい。(日本代表)合宿に1度でいいから呼んでほしい」とはっきりと欲、自我をのぞかせたのには驚いた。
天才と言われることについては「マラドーナみたいのを天才って言うんですよ。僕の場合、あえて言うなら(努力型の)秀才じゃないですかね。U17でブラジルには全然通用しなかったですよ」。それでも私が30年間のカメラマン、記者生活で、マラドーナの領域を感じさせた唯一の日本人、いやサッカー選手だった。
インタビューで最後に口にした言葉は「世界中どこへ行っても『オノ、オノ』って言われるような選手になりたいです」だった。18歳の小野の目はしっかりと世界に向いていた。(写真映像部・野上伸悟)
https://www.nikkansports.com/m/soccer/news/202309270001335_m.html?mode=all
https://www.nikkansports.com/soccer/news/img/202309270001335-w500_0.jpg