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和田アキ子が日本テレビ出入禁止の過去を明かす 「反省しています」
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26日放送の『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)で、和田アキ子が日本テレビを出入り禁止になった過去を告白した。
■和田の芸能生活を振り返る
和田の芸能生活を振り返った26日の放送。そのなかで垣花正が「1973年、歌とは少し違う形で、アッコさんの名前が一気に全国区になる出来事があります」とアナウンスする。
続けて「それが『金曜10時うわさのチャンネル』。大ヒット番組の存在ですね。ザ・デストロイヤー、せんだみつおさん、湯原昌幸さん、あのねのね、日本テレビアナウンサー時代の徳光和夫さん、そしてまだ全然知られる前のタモリさん、所ジョージさん。数々の方々が出演した生放送のバラエティ。これが驚異的な視聴率をとる」と紹介した。
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■多忙な生活だった
垣花はさらに「これが人気が上がれば上がるほど、アッコさんは本業・歌手としての仕事とのバランスに悩むようになる」とアナウンス。
すると和田は『うわさのチャンネル』前に朝からリハーサルをしたのち、1度抜けてドラマの撮影に向かい、放送前に戻って再度リハーサル、生放送、放送後来週の打ち合わせ、翌日朝から地方で歌手活動というスケジュールをこなしていたことを明かし「結構たいへんでしたね」と振り返る。
そして「週末歌手モードになったときに『昨日のうわさのチャンネルこうだったね』という声が聞こえるのが嫌だった」と語った。
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■降板すると出入り禁止に
その後垣花が「まだまだ番組全盛期の1978年に突然降板を申し入れる」と紹介すると、和田も「はい、そうなんです」と認める。
続けて「 それでなかなか認めてもらえませんでしたけど、当時やっぱりオダさんがマネージャーで、土日の歌はちゃんと歌いたい。必ずありましたから、土曜日と日曜日は地方で」と話す。
そして「それで私だけ抜けたんですけど、それから2年間、日本テレビ出入り禁止。当時いた山口百恵ちゃんも森昌子ちゃんもみんな、全員出入り禁止。申し訳なかった、 本当に」と振り返った。
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■番組に感謝
垣花は「それぐらい人気番組から看板が抜けるというインパクトがあったんですね」とフォローをする。
すると和田は「そうですねえ。お世話になりましたけどね。あの番組があったから、今の私があると思っていますけどね。ゴット姉ちゃん」とコメントしていた。
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