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【韓国】また米国に捨てられ中国に無視されるのだろうか
両国は韓米同盟の領域を軍事・安全保障から経済・技術に拡張した。世界最強国が韓国を歓待したのは良いことだ。
半導体、電気自動車、バッテリー分野で44兆ウォンを米国に投資することにした企業のパワーのおかげだ。
だが米国の国益につながらなければ皇帝のような待遇は冷遇に変わるだろう。歴史の傷が実証している。
韓国が米国と最初に修交したのは139年前である1882年の朝米修好通商条約を締結してからだ。
朝鮮は「米国が列強の侵略を阻止し保護するだろう」と信じて「連米」路線を決めた。高宗(コジョン)は米国を「寛大な人たちの国」と表現した。
条約第1条はどちらか一方の国が第三国から「不公軽侮」、すなわち不当な処置や侮辱または脅威を受けた場合には別の一方が仲裁に乗り出すという条項だ。
しかし米国は、1905年に日本が乙巳保護条約で大韓帝国を保護国にした際に、米国のフィリピン支配を日本が黙認する条件で了承した。条約は紙切れになった。桂・タフト協定の結果だった。
1949年には韓国の哀訴にもかかわらず、7万人の米陸軍24軍団を全員撤退させた。北朝鮮は1年後に侵略戦争を起こした。
トルーマン政権は1951年5月に決定したNSC48/5(韓国戦争勃発後の米国のアジア政策)と、12月のNSC118/2(休戦協議に臨む指針)に基づき、日本、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドとは違い、韓国は米国の防衛同盟対象国から除外した。
北朝鮮と中共の侵略に命をかけて戦って韓国を守っておきながら再び捨てることにしたのだ。力のない鶏肋の韓国に対する強大国の二律背反的決定だった。
何の対策もなく離れようとする米国を相手に相互防衛条約を勝ち取り韓米同盟を成功させた人物が李承晩(イ・スンマン)初代大統領だ。
米国は李承晩を退かせて従順な張勉(チャン・ミョン)を第2代大統領に就任させようとした(『憎めない私たちの大統領』、イ・ヨンイル)。
ワシントンでは李承晩政権転覆に向けたエバーレディ計画をめぐり、国務省、合同参謀、ホワイトハウス、国防総省、CIAの5機関合同会議まで開かれた(『韓米同盟の誕生秘話』、ナム・シウク)。
李承晩はアイゼンハワー米大統領の「名誉ある休戦」に「単独北進統一」で対抗し反共捕虜2万7000人を奇襲的に釈放する。
アイゼンハワーはホワイトハウス非常会議を招集し、「李承晩はわれわれの敵」と言い、ダレス国務長官は「李承晩がわれわれの背中に切りつけた」と糾弾した。
後日毛沢東は「恐ろしかったのは米国ではなく変化の激しい李承晩だった」と話した。韓国は「傀儡国家」という汚名から抜け出した。
李承晩は米大統領特使ウォルター・ロバートソンに「朝鮮と締結した朝米修好通商条約を履き古しのように捨てた米国が解放後の韓半島(朝鮮半島)を真っ二つにし、今度はわれわれに一方的休戦を強要する状況はもうひとつの裏切り」と非難した。
中央日報 2021.05.31 12:07
https://japanese.joins.com/JArticle/279114