【東京新聞】罪人のように韓国で生きた日本人妻たち…「記録に残して」と取材を許された韓国人男性の記憶

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【東京新聞】罪人のように韓国で生きた日本人妻たち…「記録に残して」と取材を許された韓国人男性の記憶

1: ばーど ★ 2023/08/07(月) 08:31:45.34 ID:vhLuXWc9
「見てください、すごく良い表情でしょう。いかに心優しく生きてきたか、写真にはぜんぶ表れる」

◆「なぜ日本人の面倒を見るのか」と抗議も

慶州キョンジュナザレ園を長年取材した地元のドキュメンタリー作家金鐘旭キムジョンウクさん(63)の自宅には、入所者の日本人妻たちが健在だったときに撮影した写真が大切に保管してある。「ハルモニ(おばあさん)たちは自分が罪人でもないのに、祖国のせいで韓国の地で罪人のように生きた。どんなにつらかったことか」
 
慶州ナザレ園 1972年にキリスト教徒で福祉事業家の故金龍成(キム・ヨンソン)氏が開設した。朝鮮戦争で夫が戦死したり、貧困にあえいだり苦境にあった日本人妻らの帰国を支援。80年代までに147人を送り出した。その後も日本人妻らを順次受け入れ、多いときには30~40人が共同生活を送った。

報道などで施設のことが世間に知られるたびに「なぜ日本人の面倒を見るのか」と抗議の電話を受けてきたナザレ園は、韓国人の取材を警戒してきた。そんな中で鐘旭さんは唯一、出入りを許された。
 
2004年から、入所者の遺影を撮影するボランティアとして通いつめた。園の行事には必ず参加して撮影と対話を重ねるうち、次第にうち解けた入所者は、韓国語で問わず語りに境遇を話すようになった。20人余にインタビューを行い、映像でも記録した。

◆本妻がいた…自分の子として育てられず

ある女性は「惨めな自分の姿を見せて、親をがっかりさせたくない。故郷には戻れなかった」と語った。日本の植民地時代、「内鮮一体」のスローガンのもとで日本人と朝鮮人の結婚は奨励されたが、実際には親の強い反対を押し切って結婚したケースがほとんどだった。
 
夫婦関係が円満だった場合もあるが、韓国人の夫の浮気や暴力を経験した人が多かった。日本から移住後、夫に本妻がいたと知った人も。韓国の戸籍に入れてもらえず、自分の子を本妻の子として育てられたという人もいた。

山口県出身の米本登喜江さん(14年没)は、韓国で苦労してきた自分たちのことを「記録に残して伝えてほしい」と望み、簡単には心を開かない他の入所者と鐘旭さんの間を取り持ってくれた。

◆祖国のイメージを汚したくない

登喜江さんはナザレ園に入所する前、韓国人の孤児を引き取って育て、地域の奉仕活動にも尽くした。祖国のイメージを汚したくないとの思いがあったらしい。日本からの修学旅行生がナザレ園を訪問すると「私たちは犠牲になって生きてきたが、あなたたちは戦争のない良い国にしてほしい」と呼びかけたという。
 
ナザレ園で暮らした日本人妻たちについて、鐘旭さんはこんな見方を語る。「日本の文化を内に秘めながら、韓国文化を受け入れて生きてきたハルモニたちだ。日本人という認識で差別してはいけなかった」。すでに他界したハルモニたちの映像をいとおしむように眺めた。(慶州市で、木下大資、写真も)
  ◇
1945年の終戦前に朝鮮人と結婚し、現在の韓国へ渡った日本人妻らが晩年を過ごす社会福祉施設「慶州ナザレ園」が南東部の慶尚北道キョンサンプクト慶州キョンジュ市にある。両国の交流が深くなった現在は「日韓夫婦」も珍しくないが、彼女たちは日本の植民地支配や朝鮮戦争など激動が続いた時代を生きた。入所者の大半が他界し、風化しつつある記憶に触れようと現地を訪ねた。

<連載 ナザレ園の記憶~韓国で生きた日本人妻(上)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/268177

<連載 ナザレ園の記憶~韓国で生きた日本人妻(中)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/268335
https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/4/2/8/a/428a4b3cb0828804c434a095e2434b5e_1.jpg


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