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【脱北女性】 北朝鮮でブランド品持っていたと話したのに「生きるために虫を食べた」…
同紙の記事の要旨は、彼女の証言が一貫せず疑問が提起されるということだ。
パク氏が話す北朝鮮での経験は辻褄が合わなかったり、誇張された面があると同紙は報道した。
同紙は「パク氏は独裁国での厳しい経験のうち一部は話にならないという非難に数年間苦しめられた」と伝えた。
【写真】脱北者で人権運動家のパク・ヨンミ氏が国際会議の舞台で発言している姿
北朝鮮の両江道恵山市(ヤンガンド・ヘサンシ)で生まれたパク氏は、
父親が闇市で金属を密輸して政治犯収容所に連れて行かれると2007年に脱北した。
中国とモンゴルを経て2009年に韓国に定着した彼女は、脱北者が出演するテレビ芸能番組『いま会いに行きます』に出演して名前が知られた。
東国(トングク)大学警察行政学科に進学し勉強している間に2015年に米コロンビア大学に編入し、その後米国市民権を得た。
同紙によると、パク氏に対して提起された代表的な疑問のひとつは北朝鮮で享受した経済力だ。
彼女は韓国の放送で労働党員だった父親のおかげで裕福に育ったと主張した。
ブランド品のバッグを購入するなど上流層の暮らしを楽しんでいたという彼女の主張に「北朝鮮版パリス・ヒルトン」というニックネームもできた。
同紙は「だが人権問題を扱う国際会議に舞台を移してからは『生きるために草やトンボを食べた』と主張した」と伝えた。
彼女は「北朝鮮を離れるまで卵や室内トイレを見たことがなかった」とも話したという。
同紙は、競技場での処刑目撃説が他の脱北者と証言が分かれる点も指摘した。
パク氏は幼い時に友達の母親がハリウッド映画を見たという理由で競技場で処刑されるのを目撃したと主張した。
だが2014年の米外交専門誌ディプロマットへの寄稿によると、
恵山出身の他の脱北者は同時期に死刑は執行されていなかったと反論した。
このほか脱北ルートに対しても、初めは父親が密輸をしながら知り合った中国のブローカーの助けを受けて両親とともに脱出したとしていたが、
その後は母親と2人で脱北し、中国にとどまりながら性的虐待にあったと主張した。
パク氏はその後各種インタビューで証言が一貫しなかったのは未熟な英語と過去のトラウマのためだと釈明した。
また、2015年に出版した著書『生きるための選択』では、放送で幼い時期の生活苦に言及しなかった理由について
「これ以上考えたくなかったし、放送で(裕福な脱北者コンセプトを)望んだため」と説明した。
ー後略ー
7/19(水) 13:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/210355ec6351bed4b32b44247d416c6b23ed1375