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日本の英語教育が大きく変わろうとしている 英語を話す楽しさとは…
先般、栃木県の宇都宮大学共同教育部付属小学校で4年生と5年生の英語授業を見学したが、アイパッドを効果的に使った授業が行われていた。小学4年生のクラスでは、「I have a pen」など、身の周りの持ち物を英語で指し示し、それを隣の生徒のアイパッドで映してもらって、先生に転送すると、先生がそれにコメントしてくれる。小学5年生の授業では、これもアイパッドを使って、餃子がおいしいことなどの宇都宮市の特徴を外国人に英語で伝える練習をやっていた。先生のアイパッドと各生徒のアイパッドが効果的につながっており、授業はスムーズに、にぎやかに、楽しく行われていた。その先駆、実践的な取り組み方法が注目され、同小学校は一般財団法人英語教育協議会(エレック)の昨年度のエレック英語教育賞を受賞した。
小学3、4年生といえば、10歳前後だ。そのような感受性の極めて高い時期に、外国語、外国人に接することは、その後の人生に大きな影響が出てこよう。大げさかもしれないが、この子供たちは日本の将来を大きく変えるかもしれない。私の息子は、その年ぐらいの時分に、ジュネーブのインターナショナル・スクールに通っていた。彼と同級の生徒の一人に、ガーナ出身の女生徒がいたが、彼女は成績がよくて、わが息子をしり目にさっさと飛び級でクラスを離れていった。また、インド人の生徒も同様、飛び級でクラスを離れた。「アフリカやインドにもあのように頭のいい子がいるのだ」と親子して感嘆したが、息子にとっては世界の多様性を学ぶ良い経験となった。
小学生から外国語(英語)を教えることには、これまでかなり強い反対の意見があった。通訳者で英語教育者の鳥飼久美子さんは、外国語を学ぶのは「早ければ早いほど良い」というのは間違った幻想であり、根拠がないと論じた。彼女の主張は、外国語を学ぶのは分析的に学ぶことができる抽象的な思考力が備わった中学生の時の方が最適だというものだ。
数学者でエッセイストの藤原正彦氏は、小学生のうちは英語よりも国語や数学をしっかり学ばせる方が大事だと言い張った。その方が教養を深め、論理的な思考の訓練になるからという理由だ。名著「日本語が亡びるとき」を書いた評論家の水村美苗氏は同書で、小学生の英語教育を直接扱ったものではないものの、学校教育を通じて多くの人が英語ができるようになればなるほどいいという前提は否定されるべきと主張した。国民の全員がバイリンガルになるのを目指すのではなく、国民の一部がバイリンガルになるのを目指すべきとの考えだ。そうでなくては、世界の「普遍語」たる英語の世紀の中で、「いつか日本語は亡びる」と彼女は言い切った。
このように、英語教育をめぐっては、明治維新以来、さまざまな論争が繰り広げられてきたし、今も続いている。江利川春雄和歌山大学名誉教授の「英語教育論争史」によれば、これまで主に3点ほどのテーマが論争の的になってきた。一つは、英語教育を小学校から始めるのが良いか、中学校からにすべきか。すでに明治時代に小学校で英語教育が行われており、論争になっていたという驚きの事実が紹介されている。二つ目は、英語教育は教養を高めるのが主たる目的か、それとも実用的なコミュニケーション能力を高めるためのものか。第三点は、国民全員が義務的に学ぶべきか、あるいは一部エリートないしは外国語を必要とする少数の人に限定することでよいのか。
1970年代には、これらの論点をめぐって、平泉渉参議院議員と渡部昇一上智大教授との間の英語教育大論争というものがあった。そのような論争は決着を見ていないものの、これまでの長い論争を経て現在では、小学生から英語教育を始め、教養を高めるという目的よりも、むしろ実用に資するコミュニケーション能力の向上を目指し、少数エリートに限定せず国民全員が義務教育として英語を学ぶ、というのが大きな流れになっていると見てよいであろう。
しかし、そのような流れにもかかわらず、現在のところ、日本の中学生や高校生の英語を話す能力は、国際的に見て非常に低い状況が続いている。2020年の高校卒業時のTOEFL iBTの国別スコアでは、台湾が85、韓国が86、中国が87と世界標準レベルまで上がってきているのに対し、日本は73で、世界のスピードに追いつけていない。特に話す能力の低いのが目立っている。
以下ソース先
7月14日 8時30分
https://www.recordchina.co.jp/b917196-s517-c30-d1517.html