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(出典:プロレスTODAY) |
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1 朝一から閉店までφ ★ :2023/06/12(月) 18:52:39.13 ID:j/5s0A2p9.net
スタン・ハンセンが京都でトークショー「新日本から全日本に移ったが、それは猪木が嫌いだからとか恨みがあったわけじゃない。あくまでビジネスとして移籍しただけ」【週刊プロレス】
週刊プロレス編集部
6月11日、JR京都駅近くのイオンモールKYOTOで「スーパースター プロレストークバトル」が開催された。
Sareee、中西学に続いて第3部に登場したのがスタン・ハンセン。金髪もすっかりグレーに変わって年齢を感じさせた“不沈艦”だが、ファンにすれば、あこがれのレスラーであることは変わらない。
会場に「サンライズ」の曲が流れると、集まった約200人のファンから自然発生的に「ハンセン」コールがわき起こる。ハンセンもロングホーンを突き上げてそれに応えた。
やはりまず聞きたかったのは、昨年10月1日に亡くなられたアントニオ猪木のこと。
「アメリカにいる時にその知らせを聞いた。とてもショックを受けた。私だけでなく、アメリカのプロレス界も大きなショック、悲しみに包まれた。
一番最初はニュースで見たと思う。アメリカでも大きく報じられたからね。そのあと、日本の記者から連絡があった。ミスター・イノキはジャイアント・ババと並ぶ歴史的なトップレスラーだったし、私がニュージャパンで活躍する機会を与えてくれた。
ニュージャパンからオールジャパンに移ったが、それはイノキが嫌いだからとか恨みがあったわけじゃない。あくまでビジネスとして移籍しただけだ。イノキと同じ飛行機で日本に来たこともあったよ」
猪木との試合に関しては「あまりにも多く闘ったし、どの試合が一番印象に残ってるかなんて言えないよ。とにかくイノキとの試合は一瞬たりとも気が抜けなかった。
ちょっとでもスキを見せたら攻撃してくる。毎試合、それまでと違った動き、それも私が思いつかないような動きでね」と振り返った。
猪木、馬場、そしてジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力、藤波辰巳(辰爾)、さらには三沢光晴、川田利明、小橋建太と、世代を超えトップクラスと闘い続けたハンセン。「ライバルと言われても1人には絞れない。
その時その時に異なる一番のライバルがいた。それが時にはイノキだったし、時にはババだった。ジャンボの時期もあったし、テンルー(天龍)、チョーシュー(長州)の時期もあった。フジナミの時期もね。
さらにはミサワ、カワダ、コバシだったりね。とにかく大勢の素晴らしいレスラーと闘う機会に恵まれていた」と語ったが、その中で藤波がまだ現役を続けていることに関しては、「ぜひとも頑張ってほしい」とエールを送っていた。
一方、多くのレスラーとタッグを組んできたが、「間違いなくブルーザー・ブロディがベストパートナーだ」と語ったハンセン。「彼には『現地の食事に慣れろ』と言われた。
その言葉通り、日本に来たらスシやソバ、ヤキニクなどを食べるようにした。それによって日本食が好きになったし、日本も好きになった」
その後、会場に集まったファンからの質問コーナーに。
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