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中国にはなぜ「朝鮮族」のように「日本族」が存在しないのか―中国メディア
文章は、中国には「朝鮮族」や「オロス族(ロシア系)」などの少数民族がいるがなぜ「日本族」はいないのかと疑問を提起。まず、中国と日本の間には古くから多くの交流があったとし、その例として徐福の伝説や、 隋・唐の時代に政治や文化、宗教などを学ぶため日本が多くの留学生、僧侶を中国に送った遣隋使、遣唐使を挙げた。一方で、交流こそあったものの、日本が海を隔てた島国であり、古代の航海術には限界があったことから、多くの日本人が中国に定住することはなかったとした。
また、近代に入ると「軍国主義の道を歩み始めた日本が琉球併合を皮切りに台湾や東北地方などの中国領土を侵略した」とし、特に石炭資源が豊富だった中国東北部への計画的、組織的、体系的な集団移民を実施したと紹介。1936年に日本政府が「満州移民促進計画」を決定し、51年までの15年間に500万人の日本人を満州に移住させる計画を立て、政府と軍部の指導により多くの日本人が「開拓団」という形で中国に入り、現地に学校や病院などの施設やインフラが造られていったと伝えた。
そして、日本の当時の大東亜省が発表した統計として「中国東北部に移民した日本人の農家は10万6000戸、31万8000人で、このうち開拓団による移民が10万8000人」だったと紹介するとともに、45年8月に日本が降伏した時点の移民総数は27万人以上であったと記録されているとした。
さらに、ソ連軍が終戦間際に中国東北部へ進攻すると、日本の「開拓団」は崩壊状態となり、日本に帰国できた一部の人を除けば、相当数の人が死亡するか、ソ連軍の捕虜となったと指摘。種々の理由により中国本土に残り人生を歩む日本人もいたものの、そのほとんどは孤児や女性であったため、コミュニティーとして共同の経済生活を営むための必要条件を欠いており、49年に建国された中華人民共和国の民族識別作業においても、残留日本人を「民族集団」とみなすことはなかったと伝えた。
文章は「地理的な理由から、古代には日本人の中国への大規模な移住はなかった。そして近代に発生した日本の軍国主義による開拓団も、中国において合法的で対等な各民族の一員となることはあり得なかった」ことが、現在までに中国に「日本族」が存在しない理由だと結論づけた。(翻訳・編集/川尻)